金銀童話・王の金糸雀(二部) 7
ミケーレの心臓は早鐘のように打ち、鼓動が部屋の空気を振動させているような気がしていた。
「ねぇ、アレッシオ。あなたも、この子の歌を聞く?」
揺り椅子の上に置かれたものに視線を移しお后さまは、こともなげに話しかけていたが、金糸雀は意識をふっと失いそうになった。
側にいた王さまの忠実な司令官が、咄嗟に支えてくれなければその場に倒れていただろう。
「何かおっしゃい、アレッシオ・・・そう、今日は気分が悪いのね。」
椅子の上に居たのは、金糸雀がこの国を出奔したときに、戦死されたアレッシオ弟殿下の変わり果てた姿だった。
「では、そなたは今日は挨拶だけで下がるが良い。」
王さまの忠実な司令官の言葉に救われて、金糸雀は一人、石の牢獄を後にした。
足元から湿気のあがる牢獄で、元の姿も判らないようになったアレッシオ殿下を愛おしむお妃さまの声が、背後から聞こえてきた。
「湖の王は、捕まえたの?」
「いいえ。どこに潜伏したものか、行方が知れません。」
王さまの忠実な司令官の頬が、打たれてぱんと乾いた音を立てた。
「何年待たせれば良いの?何度同じ答えを言うの?聞き飽きたわ。」
跪き(ひざまずき)頭を下げた忠実な司令官に、くるりと背を向けて愛する弟殿下を抱き上げると、眼前に捧げ、お后さまは言ったのだった。
「さあ・・・アレッシオ・・・良い子ね。」
「いらっしゃい、髪を梳いてあげましょう。」
その姿は、洗礼者ヨハネの首をねだった少女のように清らかだった。
余りに痛ましいお妃さまの姿に、金糸雀の胸は締め付けられるようだった。
金糸雀はそっと静かに、扉の向こうへ届くように、死者を恋うる歌を歌い始めた。
けれども、痛ましいお后さまの姿に、知らぬうちに溢れる涙で頬が濡れ、悲しみで胸がいっぱいになってゆく。
金糸雀はお后さまが正気に戻るなら、いっそ自分が湖の王の息子だと告げてしまいたいと思いつめていた。
心ならずも「天使」になった自分を哀れんだことも有ったが、今や湖の王の息子、アナスタシオ第一王子となってお后さまの前に身体を投げ出したいと内心思っていた。
自分の身を捧げ、それでお妃さまの気持ちが晴れるのなら、それでもいい。
小さな声で歌を歌っていた金糸雀でしたが・・・辛い涙が嗚咽になって喉に張り付き、いつしか歌えなった。
「余の金糸雀・・・」
床に伏して泣く金糸雀が、見上げた目に涙で滲んだ王さまの姿が映った。
「王さま・・・お許し下さい。」
「・・・今日は、もう歌えません・・・」
王さまは唇を震わせ、何とか言葉を紡いだ金糸雀の傍に跪くとそっと抱き寄せた。
「・・・金糸雀、そなたのせいではない。」
「あぁあぁーーーーーっ・・・」
王さまの胸の中で、声を上げて金糸雀は泣いた。
お后さまの心は深く傷ついて、弟殿下の死を認められなかったのだ。
どれほどの死体を積み上げても、お妃さまには帰らない弟の代わりになるものはなかった。
ずっとお側に帰りたかった金糸雀は、今や悲しみに打ちひしがれて許しを請うばかりだった。
金糸雀は、結局そのまま森の国にいて歌を歌うことになった。
カストラートとなった金糸雀には、歌う以外のことはできなかった。
やがて驚くべきことに、お后さまに少しずつ変化は現れた。
時折、記憶の中の子どもの金糸雀と混同したのだろう。
ぎこちなく金糸雀に近付いたお妃さまは、それでも弟殿下と同じように愛しんでくださったのだった。
「ミケーレ・・・」と、呼ばれてお側に行くとき、ごくたまにですが黒い瞳が揺らめいて、緑の宝石のように輝く瞬間があった。
それは、金糸雀がうんと昔、お傍にいたころ知っていた深く美しい緑の瞳の色だった。
このまま、お妃さまにとっての穏やかな時間が続けばいいのにと、金糸雀は願っていた。
時折、お妃さまは昔のように金糸雀に音楽の話をした。
「ピッコロ・トランペットの名手が居るのよ。おまえはその指使いに決して負けてはならないわ。」
骨の浮いた指が、そうっと金糸雀の唇に触れる。
「いいこと?」
「はい。お后さま。」
指で高低を器用に使うトランペットの楽士は、お后さまのお気に入りだった。
今は逃げ出したものの多い、お城の中に数人の楽師が残っていた。
月の光に精神が満たされても、美しい音楽は変わらずお好きなままのようだった。
「どちらが勝つかしら?」
お后さまが王さまに話しかけるのも、アレッシオ殿下を失って以来ないことだった。
久し振りに北の塔から降りて、正装したお后さまと王さまが並んで広間の玉座に着座した。
すっかり少なくなった召使いも城の中も久し振りに華やいでいる。
「では、余はミケーレの勝利を祈ろう。」
「わたくしは、ピッコロ・トランペットに。」
王さまは、いつかのように高らかに告げた。
「息の続く限り、歌え金糸雀。・・・余と妃のために。」
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「ねぇ、アレッシオ。あなたも、この子の歌を聞く?」
揺り椅子の上に置かれたものに視線を移しお后さまは、こともなげに話しかけていたが、金糸雀は意識をふっと失いそうになった。
側にいた王さまの忠実な司令官が、咄嗟に支えてくれなければその場に倒れていただろう。
「何かおっしゃい、アレッシオ・・・そう、今日は気分が悪いのね。」
椅子の上に居たのは、金糸雀がこの国を出奔したときに、戦死されたアレッシオ弟殿下の変わり果てた姿だった。
「では、そなたは今日は挨拶だけで下がるが良い。」
王さまの忠実な司令官の言葉に救われて、金糸雀は一人、石の牢獄を後にした。
足元から湿気のあがる牢獄で、元の姿も判らないようになったアレッシオ殿下を愛おしむお妃さまの声が、背後から聞こえてきた。
「湖の王は、捕まえたの?」
「いいえ。どこに潜伏したものか、行方が知れません。」
王さまの忠実な司令官の頬が、打たれてぱんと乾いた音を立てた。
「何年待たせれば良いの?何度同じ答えを言うの?聞き飽きたわ。」
跪き(ひざまずき)頭を下げた忠実な司令官に、くるりと背を向けて愛する弟殿下を抱き上げると、眼前に捧げ、お后さまは言ったのだった。
「さあ・・・アレッシオ・・・良い子ね。」
「いらっしゃい、髪を梳いてあげましょう。」
その姿は、洗礼者ヨハネの首をねだった少女のように清らかだった。
余りに痛ましいお妃さまの姿に、金糸雀の胸は締め付けられるようだった。
金糸雀はそっと静かに、扉の向こうへ届くように、死者を恋うる歌を歌い始めた。
けれども、痛ましいお后さまの姿に、知らぬうちに溢れる涙で頬が濡れ、悲しみで胸がいっぱいになってゆく。
金糸雀はお后さまが正気に戻るなら、いっそ自分が湖の王の息子だと告げてしまいたいと思いつめていた。
心ならずも「天使」になった自分を哀れんだことも有ったが、今や湖の王の息子、アナスタシオ第一王子となってお后さまの前に身体を投げ出したいと内心思っていた。
自分の身を捧げ、それでお妃さまの気持ちが晴れるのなら、それでもいい。
小さな声で歌を歌っていた金糸雀でしたが・・・辛い涙が嗚咽になって喉に張り付き、いつしか歌えなった。
「余の金糸雀・・・」
床に伏して泣く金糸雀が、見上げた目に涙で滲んだ王さまの姿が映った。
「王さま・・・お許し下さい。」
「・・・今日は、もう歌えません・・・」
王さまは唇を震わせ、何とか言葉を紡いだ金糸雀の傍に跪くとそっと抱き寄せた。
「・・・金糸雀、そなたのせいではない。」
「あぁあぁーーーーーっ・・・」
王さまの胸の中で、声を上げて金糸雀は泣いた。
お后さまの心は深く傷ついて、弟殿下の死を認められなかったのだ。
どれほどの死体を積み上げても、お妃さまには帰らない弟の代わりになるものはなかった。
ずっとお側に帰りたかった金糸雀は、今や悲しみに打ちひしがれて許しを請うばかりだった。
金糸雀は、結局そのまま森の国にいて歌を歌うことになった。
カストラートとなった金糸雀には、歌う以外のことはできなかった。
やがて驚くべきことに、お后さまに少しずつ変化は現れた。
時折、記憶の中の子どもの金糸雀と混同したのだろう。
ぎこちなく金糸雀に近付いたお妃さまは、それでも弟殿下と同じように愛しんでくださったのだった。
「ミケーレ・・・」と、呼ばれてお側に行くとき、ごくたまにですが黒い瞳が揺らめいて、緑の宝石のように輝く瞬間があった。
それは、金糸雀がうんと昔、お傍にいたころ知っていた深く美しい緑の瞳の色だった。
このまま、お妃さまにとっての穏やかな時間が続けばいいのにと、金糸雀は願っていた。
時折、お妃さまは昔のように金糸雀に音楽の話をした。
「ピッコロ・トランペットの名手が居るのよ。おまえはその指使いに決して負けてはならないわ。」
骨の浮いた指が、そうっと金糸雀の唇に触れる。
「いいこと?」
「はい。お后さま。」
指で高低を器用に使うトランペットの楽士は、お后さまのお気に入りだった。
今は逃げ出したものの多い、お城の中に数人の楽師が残っていた。
月の光に精神が満たされても、美しい音楽は変わらずお好きなままのようだった。
「どちらが勝つかしら?」
お后さまが王さまに話しかけるのも、アレッシオ殿下を失って以来ないことだった。
久し振りに北の塔から降りて、正装したお后さまと王さまが並んで広間の玉座に着座した。
すっかり少なくなった召使いも城の中も久し振りに華やいでいる。
「では、余はミケーレの勝利を祈ろう。」
「わたくしは、ピッコロ・トランペットに。」
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