金銀童話・王の金糸雀(二部) 9
その頃、ナポリの音楽学院は、トニオや多くの生徒と共に出かけたはずの、天才カストラート・ミケーレが行方不明になって、大騒ぎになっていた。
嫌がったミケーレを連れ出し、行方不明にさせたのは自分だと言って、トニオは酷く自分を責めていた。
やがて、類希な才能を持ったカストラートが、何者かに誘拐されたに違いないと思った学院長は、速やかに教皇庁に報告する。
教皇のお気に入りは、なんとしても探しだし、学院に取り戻さなければならなかった。
許しもなくミケーレを外部に出した、学院長が責められるのは確実だった。
そして、そのことがきっかけで、湖の城の関係者から何度も、異端審問の願いを聞いていた教皇庁は、ミケーレが最後に出かけたカレスティーニ公の領地に隣接する緑の森に、異端審問所の探索を差し向けることにしたのだ。
皆が捜している囚われの金糸雀は、今は窮屈な鳥籠の中でブランコに座り、毎日歌を歌っていた。
お后さまは、鳥籠の前に揺り椅子をおき、髪もまばらになったアレッシオ殿下を膝の上に乗せて、日に何時間も金糸雀の歌をお聞きになっている。
正気と狂気の交錯する時間、黙って鳥籠の鍵を開け、金糸雀の菫色の瞳を見つめる時間があった。
「お后さま・・・?」
「いいえ。おまえのせい・・・などではないわ。」
短い時間のうちに瞳の色は変わり、再び扉は閉じられるのだが、いつか奇跡が起きそうな気配を持って、穏やかに時間は過ぎてゆく。
いつしかお后さまは、金糸雀が歌を歌っている限り、湖の国の民の首を並べよと恐ろしいことは言わなくなっていた。
王さまはそれを大層お喜びになって、鳥籠のそばに玉座を運び、手を差し入れると金糸雀の頬に触れたのだった。
「そなたがここに居る限り、希望を失わずに済む。」
王さまの優しい声が、金糸雀を包み込んでゆく。
両手を精一杯伸ばしても、金の百合の細工が邪魔をして、王さまにはほんの少ししか届かなかった。
金糸雀の差し出された手を機嫌よく取り、王さまは明るく告げた。
「歌ってくれ、金糸雀。」
「余と、后のために。」
けれども、いつもほんの少しの平安は、突然に破られるのだった。
金糸雀の望む、ささやかな安らぎはいつも踏みにじられてばかりだった。
*******
ある日、遥か遠くの東の国から商人がやって来た。
商人は頭に珍しい布を巻き上げ、褐色の肌を持ち長い胴着を着ている。
世界中の奴隷を扱う商人だと言うことだった。
「お后さまに、わが王から珍しい自動人形を捧げます。」
従者も同じ褐色の肌を持ち、時折鳥籠の中の美しい金糸雀に目をやりながら、ひざまずいた。
「此度は、湖の国から多くの奴隷を頂いたお礼を届けに、持参いたしました。
東の大国はお后さまの愛する弟殿下の姿を写して、カストラートに勝るとも劣らない自動人形(オートマタ)を作りました。」
常ならば、そんな申し出はすぐに退けられたのでしょうが、その時、運悪く鳥籠のそばにお后さまがいた。
「自動人形・・・?何かしら?」
今や金糸雀の歌声に癒されて、少しずつ落ち着いてきたお后さまの琴線に、その言葉は触れてしまったようだ。
「誰よりも美しい声で歌う、自動人形です。」
「そう、例えばこの国の美しい銀色の金糸雀よりも。」
使者は従者に合図を送り、台車に乗せられた大きな贈り物が運びこまれた。
広間には、贈り物を出すための豪奢な絨毯が敷かれた。
そして・・・
人々は目を疑った。
異国の使者の持ってきた箱の中から滑るように、黒髪の細い騎士の人形が現れたのだ。
しなやかに膝を折り、お后さまの前で挨拶をし、顔をあげると、その場にいた誰もが感嘆の声を上げた。
「まあ!」
自動人形の面差しは、まるでお后さまの弟アレッシオ殿下をうつしたように、そっくりだったのだ。
王さまが思わず玉座から立ち上がり、お后さまに駆け寄りましたが、もうその上気した頬はからくり人形に、一瞬で囚われてしまっていた。
王さまは、がくりと玉座に腰を落とし力なく様子を眺めていた。
「わたくしのあなた。わたくしのアレッシオが、帰って来たわ・・・」
少し落ち着きかけた、お后さまの病状は再び暴走し始めていた。
王さまの忠実な司令官は、即刻、奴隷商人を牢に送ろうとしましたが、既にお后さまは、アレッシオの面差しをそのまま写した精巧な自動人形の虜になってしまい、奴隷商人の退出を許さなかった。
商人が素早く、背中に隠された大きなぜんまいを巻くと、驚くことに小さな機械音が響いて人形のアレッシオは動き始めた。
レースの袖口から陶磁器の優雅な腕が伸び、自動人形はお后様に向かってお辞儀をすると、歌を歌い始めた。
金糸雀に勝るとも劣らない、伸びやかな機械仕掛けの声が広間に響いてゆく。
王さまは、顔色をなくしたまま金糸雀の手を取りぎゅと握った。
金糸雀には、ただ金の鳥籠の柵越しに、王さまの手をそっと力を込めて握り返すしか出来なかったのだ。
王さまの金糸雀に託した願い、お后さまの魂を救えるかもしれないと思った望みは、儚い沫となり消えてしまった。
東の国の奴隷商人は、お后さまのためにアレッシオ人形のぜんまいを巻き、人形を抱きしめたお后さまはうっとりと夢見心地だった。
お后さまの傍らには、それからずっと誰もが驚くほどアレッシオ殿下にそっくりな自動人形と、商人が従っていた。
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嫌がったミケーレを連れ出し、行方不明にさせたのは自分だと言って、トニオは酷く自分を責めていた。
やがて、類希な才能を持ったカストラートが、何者かに誘拐されたに違いないと思った学院長は、速やかに教皇庁に報告する。
教皇のお気に入りは、なんとしても探しだし、学院に取り戻さなければならなかった。
許しもなくミケーレを外部に出した、学院長が責められるのは確実だった。
そして、そのことがきっかけで、湖の城の関係者から何度も、異端審問の願いを聞いていた教皇庁は、ミケーレが最後に出かけたカレスティーニ公の領地に隣接する緑の森に、異端審問所の探索を差し向けることにしたのだ。
皆が捜している囚われの金糸雀は、今は窮屈な鳥籠の中でブランコに座り、毎日歌を歌っていた。
お后さまは、鳥籠の前に揺り椅子をおき、髪もまばらになったアレッシオ殿下を膝の上に乗せて、日に何時間も金糸雀の歌をお聞きになっている。
正気と狂気の交錯する時間、黙って鳥籠の鍵を開け、金糸雀の菫色の瞳を見つめる時間があった。
「お后さま・・・?」
「いいえ。おまえのせい・・・などではないわ。」
短い時間のうちに瞳の色は変わり、再び扉は閉じられるのだが、いつか奇跡が起きそうな気配を持って、穏やかに時間は過ぎてゆく。
いつしかお后さまは、金糸雀が歌を歌っている限り、湖の国の民の首を並べよと恐ろしいことは言わなくなっていた。
王さまはそれを大層お喜びになって、鳥籠のそばに玉座を運び、手を差し入れると金糸雀の頬に触れたのだった。
「そなたがここに居る限り、希望を失わずに済む。」
王さまの優しい声が、金糸雀を包み込んでゆく。
両手を精一杯伸ばしても、金の百合の細工が邪魔をして、王さまにはほんの少ししか届かなかった。
金糸雀の差し出された手を機嫌よく取り、王さまは明るく告げた。
「歌ってくれ、金糸雀。」
「余と、后のために。」
けれども、いつもほんの少しの平安は、突然に破られるのだった。
金糸雀の望む、ささやかな安らぎはいつも踏みにじられてばかりだった。
*******
ある日、遥か遠くの東の国から商人がやって来た。
商人は頭に珍しい布を巻き上げ、褐色の肌を持ち長い胴着を着ている。
世界中の奴隷を扱う商人だと言うことだった。
「お后さまに、わが王から珍しい自動人形を捧げます。」
従者も同じ褐色の肌を持ち、時折鳥籠の中の美しい金糸雀に目をやりながら、ひざまずいた。
「此度は、湖の国から多くの奴隷を頂いたお礼を届けに、持参いたしました。
東の大国はお后さまの愛する弟殿下の姿を写して、カストラートに勝るとも劣らない自動人形(オートマタ)を作りました。」
常ならば、そんな申し出はすぐに退けられたのでしょうが、その時、運悪く鳥籠のそばにお后さまがいた。
「自動人形・・・?何かしら?」
今や金糸雀の歌声に癒されて、少しずつ落ち着いてきたお后さまの琴線に、その言葉は触れてしまったようだ。
「誰よりも美しい声で歌う、自動人形です。」
「そう、例えばこの国の美しい銀色の金糸雀よりも。」
使者は従者に合図を送り、台車に乗せられた大きな贈り物が運びこまれた。
広間には、贈り物を出すための豪奢な絨毯が敷かれた。
そして・・・
人々は目を疑った。
異国の使者の持ってきた箱の中から滑るように、黒髪の細い騎士の人形が現れたのだ。
しなやかに膝を折り、お后さまの前で挨拶をし、顔をあげると、その場にいた誰もが感嘆の声を上げた。
「まあ!」
自動人形の面差しは、まるでお后さまの弟アレッシオ殿下をうつしたように、そっくりだったのだ。
王さまが思わず玉座から立ち上がり、お后さまに駆け寄りましたが、もうその上気した頬はからくり人形に、一瞬で囚われてしまっていた。
王さまは、がくりと玉座に腰を落とし力なく様子を眺めていた。
「わたくしのあなた。わたくしのアレッシオが、帰って来たわ・・・」
少し落ち着きかけた、お后さまの病状は再び暴走し始めていた。
王さまの忠実な司令官は、即刻、奴隷商人を牢に送ろうとしましたが、既にお后さまは、アレッシオの面差しをそのまま写した精巧な自動人形の虜になってしまい、奴隷商人の退出を許さなかった。
商人が素早く、背中に隠された大きなぜんまいを巻くと、驚くことに小さな機械音が響いて人形のアレッシオは動き始めた。
レースの袖口から陶磁器の優雅な腕が伸び、自動人形はお后様に向かってお辞儀をすると、歌を歌い始めた。
金糸雀に勝るとも劣らない、伸びやかな機械仕掛けの声が広間に響いてゆく。
王さまは、顔色をなくしたまま金糸雀の手を取りぎゅと握った。
金糸雀には、ただ金の鳥籠の柵越しに、王さまの手をそっと力を込めて握り返すしか出来なかったのだ。
王さまの金糸雀に託した願い、お后さまの魂を救えるかもしれないと思った望みは、儚い沫となり消えてしまった。
東の国の奴隷商人は、お后さまのためにアレッシオ人形のぜんまいを巻き、人形を抱きしめたお后さまはうっとりと夢見心地だった。
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