金銀童話・王の金糸雀(二部) 1
過去を捨てたミケーレは、音楽学院で裕福なものだけが入れる、寄宿舎の特別な生徒になった。
手術を成功させたカストラートは、まだ先の見えない卵の存在でも未来を見越して、音楽学院の中で大切に扱われる。
しかもミケーレには、教皇から烈しい執着が有り、直々に特別な生徒として優遇するようにとの、教師たちにも口利きが有った。
貧しい家の子等が、切々と赤貧を訴えてやっと入学を許されたのとは違って、ミケーレは入ってすぐに上級生と共に歌うことさえ許された。
確かに並はずれた歌唱力だったが、教師の中には異を唱える者もいた。
金持ちの子弟のように、食事や着るものさえもミケーレには、特別なものが与えられていた。
幼い時から王位を継承するため、受けてきた数々の帝王学は決して無駄ではなかった。
歌詞を完璧に理解するための、難解なラテン語の勉強もミケーレには必要なく、周囲は驚きの目を向けた。
教師が驚くほどの完璧な発音と理解度で、もう授業に出る必要はないと、音楽以外の殆どの学科は免除された。
貴族や高位聖職者の自宅に招かれた時に、必要となるマナーも完璧で、同級生は色々な推測をしたが、ミケーレはふわりと穏やかに微笑むだけで、自身のことは何も語らなかった。
きっと何か、出生に深い事情があるのだろうと、学院内で噂だけが一人歩きをする。
あるものは大貴族の愛人の息子が、奥方の不興を買ってやむなく去勢されたのだろうと言い、あるものは馬から落ちて、鼠けい部に大怪我をしたからではないかと囁いた。
無責任な噂の中には、学院を後援する枢機卿の隠し子と言う噂まであった。
多くを語らず、誰にも優しい微笑みを向けるミケーレは孤独を愛し一人でいることを望んでいた。
それ以外は、絶え間なく呼吸法の訓練に時間を費やし、ミケーレは懸命に天性の声に磨きをかけてゆく。
ミケーレには、未来がたった一本しか用意されていないようにしか、思えなかった。
それを認めるために、行われた手術とわかっていた。
ナポリにある4つの音楽院の中で、ミケーレの入った学院では、比較的裕福な者が入学を許され、青いターコイズの通常服と祭服で厳格な音楽教育が行われている。
各学院ごとに着衣の色が厳格に決められ、子ども達の戸外での行動は、常に衆人環視に晒されていた。
ミケーレのような一握りのカストラート達は、神さまから選ばれた特別な存在であると、非合法な手術は非難しながらもカトリックの総本山自体が奇跡の存在を認めていた。
中でも現教皇は、数人のカストラートを大聖堂で抱え、歌劇場に貸し出したりもしている。
カストラートの人気は絶大で、遠く海外からも招へいされた。
ミケーレも学院を卒業したら、教皇の大聖堂で歌うようにとのぞまれていた。
ミケーレが音楽学院で長い間繰り返し学ぶ呼吸方法は、とても特殊なもの。
余りに難解な歌唱法のため、後に超絶装飾技法とも言われるものがある。
それでもミケーレは早くから才能を発揮し、走狗、連続トリルなどを懸命に学び身につけた。
中でも「スピッカート技法」と呼ばれる音階を急激に上下させて2度目の音を繰り返す「アジリタ・マルテッラータ」という方法はとても得意だった。
囁くようなピアニッシモからはじめ、段々音を大きくさせて行く。
登りきった所で今度は徐々に声を弱めて行き、最後には甘く吐息で終わらせる「メッセ・ディ・ヴォーチェ」を披露したときなどは、過去にカストラートとして成功した音楽教師が、感激の余りミケーレを窒息させそうな勢いで抱きしめた。
「素晴らしい!ミケーレ!」
「わたしは、同じ時代に君に出会えたことを神に感謝するよ。」
「君を教えたことは、君の名前と共に、いつか歴史に残るだろう。」
「先生、ありがとうございます。」
恥ずかしそうに頬を染め、それでも決して有頂天にならず、静かに勉強を続けるミケーレだった。
ただ彼は、学院外での活動には余り積極的ではなかった。
学院のほうでも、ミケーレには比較的自由を認めていましたが、それにも権力者の影がちらついている。
同じクラスの者は、そんなとき思い出したように噂をするのだった。
それでもいくつかの葬儀が重なったときなどは、子供たちはみんな出払ってしまい、ミケーレも葬儀で悲しみを表現して歌う「嘆きの天使」として参加しなくてはならない。
多くの学院生が、少しでも良い食事にありつくため進んで参加する葬儀の参列も、ミケーレはいつも拒んでいた。
死者を送る小天使の役目に、誰か代わってくれる人はいませんかと食堂で問うのだった。
人前に出ることを極力避け、ミケーレは静かに歌の勉強をすることだけを望んでいた。
そんな学院生活を送る、ミケーレにもほんの少数だったが友人は出来た。
初めて出来た同じ年のころの友人と、話をするのはミケーレにとってとても新鮮な出来事だった。
これまで大人の中で暮らしてきたミケーレは、気のおけない彼等と過ごす時間に、いつになく子どもらしい顔と屈託のない笑顔を見せた。
憂いを浮かべて暗い顔をしていたミケーレに、田舎から出てきて知り合いのいなかったトニオは人懐っこく寄って来る。
実際は、いつも食べ残すミケーレの盆の上の食事が、気になっていただけなのかもしれないが、明るいトニオのおかげで悲しいことを思い出す回数は減っていた。
じっと見つめる視線に気が付いて、視線を向けるといつしか笑顔を浮かべてトニオは隣の席に座るようになったのだった。
貧しい農家出身のトニオはいつもお腹を空かしていて、ミケーレの特別に出される、白いパンや肉の半分は彼のものになる。
「ねぇ、ミケーレ。君はいつも出かけないけど、何故?」
当たり前のように、友人の皿から白いパンを取り上げると、半分黙ってむしり取りポケットに詰め込んでゆく。
干した杏(あんず)の実と、蜜を塗った焼き菓子もポケットに消えていった。
そんな質問は、本当は辛いばかりだった。
「ぼくには、どんなに会いたくても会ってはいけない人がいるんだ。」
「・・・とても、大切な人達なんだけど、もう・・・二度と会えないの。ぼくに逢えば、その方たちが悲しいことを思い出すから・・・」
トニオには、ミケーレの言う大切な人が誰のことか分からなくても、何か辛いことがあったのだろうと理解した。
「ふうん・・・でも、劇場で歌うようになったら、いやでも外に出かけなければならないじゃない?大丈夫かな。」
そんな時、にっこりと微笑んで、ミケーレは言うのだった。
「大人になる頃には、きっとこの姿も顔も変わると思うから、誰もぼくとは気が付かないと思うよ。そうしたら、歌うよ、どこででも。」
「歌うのは大好きだから。」
「王の金糸雀」二部が始まりました。
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手術を成功させたカストラートは、まだ先の見えない卵の存在でも未来を見越して、音楽学院の中で大切に扱われる。
しかもミケーレには、教皇から烈しい執着が有り、直々に特別な生徒として優遇するようにとの、教師たちにも口利きが有った。
貧しい家の子等が、切々と赤貧を訴えてやっと入学を許されたのとは違って、ミケーレは入ってすぐに上級生と共に歌うことさえ許された。
確かに並はずれた歌唱力だったが、教師の中には異を唱える者もいた。
金持ちの子弟のように、食事や着るものさえもミケーレには、特別なものが与えられていた。
幼い時から王位を継承するため、受けてきた数々の帝王学は決して無駄ではなかった。
歌詞を完璧に理解するための、難解なラテン語の勉強もミケーレには必要なく、周囲は驚きの目を向けた。
教師が驚くほどの完璧な発音と理解度で、もう授業に出る必要はないと、音楽以外の殆どの学科は免除された。
貴族や高位聖職者の自宅に招かれた時に、必要となるマナーも完璧で、同級生は色々な推測をしたが、ミケーレはふわりと穏やかに微笑むだけで、自身のことは何も語らなかった。
きっと何か、出生に深い事情があるのだろうと、学院内で噂だけが一人歩きをする。
あるものは大貴族の愛人の息子が、奥方の不興を買ってやむなく去勢されたのだろうと言い、あるものは馬から落ちて、鼠けい部に大怪我をしたからではないかと囁いた。
無責任な噂の中には、学院を後援する枢機卿の隠し子と言う噂まであった。
多くを語らず、誰にも優しい微笑みを向けるミケーレは孤独を愛し一人でいることを望んでいた。
それ以外は、絶え間なく呼吸法の訓練に時間を費やし、ミケーレは懸命に天性の声に磨きをかけてゆく。
ミケーレには、未来がたった一本しか用意されていないようにしか、思えなかった。
それを認めるために、行われた手術とわかっていた。
ナポリにある4つの音楽院の中で、ミケーレの入った学院では、比較的裕福な者が入学を許され、青いターコイズの通常服と祭服で厳格な音楽教育が行われている。
各学院ごとに着衣の色が厳格に決められ、子ども達の戸外での行動は、常に衆人環視に晒されていた。
ミケーレのような一握りのカストラート達は、神さまから選ばれた特別な存在であると、非合法な手術は非難しながらもカトリックの総本山自体が奇跡の存在を認めていた。
中でも現教皇は、数人のカストラートを大聖堂で抱え、歌劇場に貸し出したりもしている。
カストラートの人気は絶大で、遠く海外からも招へいされた。
ミケーレも学院を卒業したら、教皇の大聖堂で歌うようにとのぞまれていた。
ミケーレが音楽学院で長い間繰り返し学ぶ呼吸方法は、とても特殊なもの。
余りに難解な歌唱法のため、後に超絶装飾技法とも言われるものがある。
それでもミケーレは早くから才能を発揮し、走狗、連続トリルなどを懸命に学び身につけた。
中でも「スピッカート技法」と呼ばれる音階を急激に上下させて2度目の音を繰り返す「アジリタ・マルテッラータ」という方法はとても得意だった。
囁くようなピアニッシモからはじめ、段々音を大きくさせて行く。
登りきった所で今度は徐々に声を弱めて行き、最後には甘く吐息で終わらせる「メッセ・ディ・ヴォーチェ」を披露したときなどは、過去にカストラートとして成功した音楽教師が、感激の余りミケーレを窒息させそうな勢いで抱きしめた。
「素晴らしい!ミケーレ!」
「わたしは、同じ時代に君に出会えたことを神に感謝するよ。」
「君を教えたことは、君の名前と共に、いつか歴史に残るだろう。」
「先生、ありがとうございます。」
恥ずかしそうに頬を染め、それでも決して有頂天にならず、静かに勉強を続けるミケーレだった。
ただ彼は、学院外での活動には余り積極的ではなかった。
学院のほうでも、ミケーレには比較的自由を認めていましたが、それにも権力者の影がちらついている。
同じクラスの者は、そんなとき思い出したように噂をするのだった。
それでもいくつかの葬儀が重なったときなどは、子供たちはみんな出払ってしまい、ミケーレも葬儀で悲しみを表現して歌う「嘆きの天使」として参加しなくてはならない。
多くの学院生が、少しでも良い食事にありつくため進んで参加する葬儀の参列も、ミケーレはいつも拒んでいた。
死者を送る小天使の役目に、誰か代わってくれる人はいませんかと食堂で問うのだった。
人前に出ることを極力避け、ミケーレは静かに歌の勉強をすることだけを望んでいた。
そんな学院生活を送る、ミケーレにもほんの少数だったが友人は出来た。
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これまで大人の中で暮らしてきたミケーレは、気のおけない彼等と過ごす時間に、いつになく子どもらしい顔と屈託のない笑顔を見せた。
憂いを浮かべて暗い顔をしていたミケーレに、田舎から出てきて知り合いのいなかったトニオは人懐っこく寄って来る。
実際は、いつも食べ残すミケーレの盆の上の食事が、気になっていただけなのかもしれないが、明るいトニオのおかげで悲しいことを思い出す回数は減っていた。
じっと見つめる視線に気が付いて、視線を向けるといつしか笑顔を浮かべてトニオは隣の席に座るようになったのだった。
貧しい農家出身のトニオはいつもお腹を空かしていて、ミケーレの特別に出される、白いパンや肉の半分は彼のものになる。
「ねぇ、ミケーレ。君はいつも出かけないけど、何故?」
当たり前のように、友人の皿から白いパンを取り上げると、半分黙ってむしり取りポケットに詰め込んでゆく。
干した杏(あんず)の実と、蜜を塗った焼き菓子もポケットに消えていった。
そんな質問は、本当は辛いばかりだった。
「ぼくには、どんなに会いたくても会ってはいけない人がいるんだ。」
「・・・とても、大切な人達なんだけど、もう・・・二度と会えないの。ぼくに逢えば、その方たちが悲しいことを思い出すから・・・」
トニオには、ミケーレの言う大切な人が誰のことか分からなくても、何か辛いことがあったのだろうと理解した。
「ふうん・・・でも、劇場で歌うようになったら、いやでも外に出かけなければならないじゃない?大丈夫かな。」
そんな時、にっこりと微笑んで、ミケーレは言うのだった。
「大人になる頃には、きっとこの姿も顔も変わると思うから、誰もぼくとは気が付かないと思うよ。そうしたら、歌うよ、どこででも。」
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