金銀童話・王の金糸雀(二部) 13
お后さまの傍らに侍る、アレッシオ人形を遠ざけること。
唯一、お后さまが元に戻る望みと方法があるとすれば、それだけだった。
金糸雀は自分の持てる全てをなげうって、アレッシオ殿下に瓜二つの自動人形と、歌比べをしたいと望みを告げた。
時間をかけて懐柔した商人の口添えもあり、その日、機嫌のよかったお后さまもついに納得したのだった。
でも、金糸雀はまだ知らなかった。
もうすぐ、緑の森の城は、異端審問の嵐が吹き荒れることになる。
残忍な王とお妃の住む、緑の森の国の終幕が近づいていた。
**************
金糸雀は、王さまの忠実な司令官にお願いして、薄い桃色の岩塩を一かけら手に入れた。
自動人形の内部のサイフォンに落とし、何とか器械に錆を生む工面をしようと思ったのだ。
気付けの酒と動転のあまり、正気を失ったような振る舞いをして恥じ入る金糸雀に、王さまの腹違いの兄上でもある司令官は何も言わなかった。
そればかりか、初めて優しい眼差しをよこし、驚くことに額に小鳥がついばむような接吻をひとつ贈ってくれた。
殆ど会話をしないでここまで来た二人の心が、ほんの少し寄り添っていた。
そして、王さまと、お后さまを救うために、自動人形を側から排除すると決め、これまでよりも美しい声を高く広間に共鳴させて金糸雀はお后さまを呼んだった。
大広間に響くトリルが、お妃さまを惹きつけていた。
「まあ、おまえなの・・・。今の素晴らしい歌は何かしら?」
優雅に腰を折り、広い広間に半円式の舞台をしつらえているように、金糸雀は堂々と歌劇の主人公、皇帝ネロになった。
今はまだ学生なので、時々客演するだけだったが音楽学院の卒業と同時に、多くの劇場がカストラート・ミケーレの出演を待ち望んでいた。
沢山の演目は、既に完璧にこなせるようになっていた。
女装の少年皇帝ネロの怠惰な嬌声は、実の母親と禁断の恋をし、高くあまやかな声で歌う両性具有の美しい奴隷を侍らせるのだった。
金糸雀は、たった一人で数人分をこなし、自在な声で演じ分けて見せた。
神の如く着飾った金糸雀は、豪華な舞台の衣装を身につけ、たった一人の観客のために惜しげもなく素晴らしい声を張っていた。
緑の森の国を傾けた愛情深い女主人は、手織りの豪奢なネロの衣装のレース飾りに散りばめられた光る宝石に、ほうっとため息をついた。
豊かに輝く髪は、リボンを編みこまれ、いくつもの歪んだバロック真珠の髪飾りが飾られている。
バロック・・・いびつ、歪み、と言う言葉の意味は、金糸雀になんとよく似合っていたことだろう。
銀色のストラートの演じる皇帝ネロは、英雄でありながら、舞台で演じるときと同じように、白粉と紅で美麗に飾られて香水を振り掛けられていた。
どこまでも目映いアンドロギュノス(両性具有者)の姿は、現教皇が求めてやまない天使の扮装の姿なのだった。
長いマントを翻し、仮面を着けたカストラートは、ついにお后さまに金の鳥籠の施錠を解かせた。
大聖堂で教皇の使いを仰天させた、3オクターブ半の広い声域で囁くように歌劇は始まった。
実母への禁断の愛を涙ながらに語る、皇帝ネロの麗しくも儚い姿に、お后さまはすっかり身を乗り出して夢中になっていた。
それはまるで、金糸雀が幼い頃に母親のようだったお后さまの気持を思い出させるように、仕組まれていた。
金糸雀の思惑は、成功するのだろうか。
黒衣のお后さまの胸の奥に、ざわと広がる正気の欠片を拾うように、金糸雀は公然と寵愛を求めたのだった。
しばらくすると、おもむろに大きなねじを取り出すと、東の国の商人がアレッシオ人形の背中のぜんまいを、きっきっと巻いた。
まるで掛け合いのように、オートマタは歌い始め、ついに自動人形とカストラートの歌比べは始まった。
自動人形は先に歌う金糸雀の歌を、細部に至るまで正確に写し取り、疲れを見せないで繰り返すのだった。
体の内部に仕込まれたドラムに、次々音階は刻まれて、商人は何度も何度もぜんまいを巻いた。
吐息で終わらせる官能的なアリアさえ、自動人形は疲れも見せず繰り返し、ただひたすらにぜんまいを巻く東の国の商人の方が疲れて来ているのだった。
王さまは、御自身の忠実な司令官から金糸雀の決心を聞き、何も言わずに見守っていた。
歌比べは昼夜を徹し、金糸雀は時折少量の葡萄酒と、白いパンを口にしただけでずっと歌い続けたのだ。
「わたくしの、アレッシオ。」
黒衣のお后さまは、自動人形を励ましていた。
魂のないオートマタに心はないのですが、彼女にとっては、今やその姿はただ一人の愛する病身の弟が、身を振り絞って歌っている姿にしか見えていないのだ。
金糸雀に決して向けられることのないお后さまの優しい眼差しは、すっかり自動人形のものだったのだ。
短い休憩の時間、金糸雀は杯を掲げると「お后さま。アレッシオ殿下の、唇を濡らして差し上げたいのです。」と、申し出た。
精巧な自動人形には、機械油しか必要ありませんでしたが、お后さまは頷いた。
彼女には金糸雀と同じように、大切な弟殿下が疲れ切っているように見えていたのだ。
「いいわ。わたくしのアレッシオに、葡萄酒を。」
許しを得て、銀色のカストラートは、深く清らかな友誼で結ばれているように、ひと口の甘い葡萄酒を咽喉奥へと贈った。
がりと辛い岩塩を噛み砕いて、自動人形の喉元に送るとこの上なく慎み深い風情で、王さまと司令官に向けて、しなやかに首尾を告げる杯を上げた。
ほんの僅かな睡眠時間を挟むと、とうとう歌比べは4日目を迎えた。
音楽学院では、カストラートたちには厳しい訓練が行われ、日々の内7,8時間も練習を繰り返すことは当たり前に行われていた。
でも、今の金糸雀はずっと舞台に上がっているような張り詰めた緊張の中で、一日に十何時間も高い声で鳴き続けていたのだった。
酷使に、声帯が悲鳴をあげそうだった。
いつか指を切られそうになったピッコロトランペット奏者が、そうっと音程の緩やかな楽曲を挟もうとしましたが、歌劇に造詣の深いお后さまは、それを知るとお止めになった。
「その曲は、つまらないわ。」
「次はカエサルを。」
一瞬、くらと目眩に襲われた金糸雀は、大きく息を吸い込むと再び精一杯のソプラノを響かせてゆく。
金糸雀の官能的な高音が広間に響き、少なくなった使用人が耳を傾けている中、誰もが金糸雀の顔色がすぐれないのに気が付いた。
さすがに見守っていた王さまが、異変を見抜いて手を上げて止めようとなさいましたが、お后さまは続けるようにと告げた。
「負けを認めるの、金糸雀?」
喉の内部が切れた金糸雀は、血痰をぷっと吐き、蒼白の顔でそれからもう二曲歌い切ると、とうとうその場に崩れ落ちた。
烈しく肩を震わせて、酸素を求めあえぐ金糸雀だった。
「金糸雀・・・もう、良い。」
金糸雀が石の床に倒れる前に、柔らかに受けとめた王さまの忠実な司令官は、もう歌を止めるようにと楽士に合図を送った。
願いが叶わずとうとう間際で倒れた金糸雀だったが、自動人形にもついに変化が訪れようとしていた。
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金糸雀は自分の持てる全てをなげうって、アレッシオ殿下に瓜二つの自動人形と、歌比べをしたいと望みを告げた。
時間をかけて懐柔した商人の口添えもあり、その日、機嫌のよかったお后さまもついに納得したのだった。
でも、金糸雀はまだ知らなかった。
もうすぐ、緑の森の城は、異端審問の嵐が吹き荒れることになる。
残忍な王とお妃の住む、緑の森の国の終幕が近づいていた。
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金糸雀は、王さまの忠実な司令官にお願いして、薄い桃色の岩塩を一かけら手に入れた。
自動人形の内部のサイフォンに落とし、何とか器械に錆を生む工面をしようと思ったのだ。
気付けの酒と動転のあまり、正気を失ったような振る舞いをして恥じ入る金糸雀に、王さまの腹違いの兄上でもある司令官は何も言わなかった。
そればかりか、初めて優しい眼差しをよこし、驚くことに額に小鳥がついばむような接吻をひとつ贈ってくれた。
殆ど会話をしないでここまで来た二人の心が、ほんの少し寄り添っていた。
そして、王さまと、お后さまを救うために、自動人形を側から排除すると決め、これまでよりも美しい声を高く広間に共鳴させて金糸雀はお后さまを呼んだった。
大広間に響くトリルが、お妃さまを惹きつけていた。
「まあ、おまえなの・・・。今の素晴らしい歌は何かしら?」
優雅に腰を折り、広い広間に半円式の舞台をしつらえているように、金糸雀は堂々と歌劇の主人公、皇帝ネロになった。
今はまだ学生なので、時々客演するだけだったが音楽学院の卒業と同時に、多くの劇場がカストラート・ミケーレの出演を待ち望んでいた。
沢山の演目は、既に完璧にこなせるようになっていた。
女装の少年皇帝ネロの怠惰な嬌声は、実の母親と禁断の恋をし、高くあまやかな声で歌う両性具有の美しい奴隷を侍らせるのだった。
金糸雀は、たった一人で数人分をこなし、自在な声で演じ分けて見せた。
神の如く着飾った金糸雀は、豪華な舞台の衣装を身につけ、たった一人の観客のために惜しげもなく素晴らしい声を張っていた。
緑の森の国を傾けた愛情深い女主人は、手織りの豪奢なネロの衣装のレース飾りに散りばめられた光る宝石に、ほうっとため息をついた。
豊かに輝く髪は、リボンを編みこまれ、いくつもの歪んだバロック真珠の髪飾りが飾られている。
バロック・・・いびつ、歪み、と言う言葉の意味は、金糸雀になんとよく似合っていたことだろう。
銀色のストラートの演じる皇帝ネロは、英雄でありながら、舞台で演じるときと同じように、白粉と紅で美麗に飾られて香水を振り掛けられていた。
どこまでも目映いアンドロギュノス(両性具有者)の姿は、現教皇が求めてやまない天使の扮装の姿なのだった。
長いマントを翻し、仮面を着けたカストラートは、ついにお后さまに金の鳥籠の施錠を解かせた。
大聖堂で教皇の使いを仰天させた、3オクターブ半の広い声域で囁くように歌劇は始まった。
実母への禁断の愛を涙ながらに語る、皇帝ネロの麗しくも儚い姿に、お后さまはすっかり身を乗り出して夢中になっていた。
それはまるで、金糸雀が幼い頃に母親のようだったお后さまの気持を思い出させるように、仕組まれていた。
金糸雀の思惑は、成功するのだろうか。
黒衣のお后さまの胸の奥に、ざわと広がる正気の欠片を拾うように、金糸雀は公然と寵愛を求めたのだった。
しばらくすると、おもむろに大きなねじを取り出すと、東の国の商人がアレッシオ人形の背中のぜんまいを、きっきっと巻いた。
まるで掛け合いのように、オートマタは歌い始め、ついに自動人形とカストラートの歌比べは始まった。
自動人形は先に歌う金糸雀の歌を、細部に至るまで正確に写し取り、疲れを見せないで繰り返すのだった。
体の内部に仕込まれたドラムに、次々音階は刻まれて、商人は何度も何度もぜんまいを巻いた。
吐息で終わらせる官能的なアリアさえ、自動人形は疲れも見せず繰り返し、ただひたすらにぜんまいを巻く東の国の商人の方が疲れて来ているのだった。
王さまは、御自身の忠実な司令官から金糸雀の決心を聞き、何も言わずに見守っていた。
歌比べは昼夜を徹し、金糸雀は時折少量の葡萄酒と、白いパンを口にしただけでずっと歌い続けたのだ。
「わたくしの、アレッシオ。」
黒衣のお后さまは、自動人形を励ましていた。
魂のないオートマタに心はないのですが、彼女にとっては、今やその姿はただ一人の愛する病身の弟が、身を振り絞って歌っている姿にしか見えていないのだ。
金糸雀に決して向けられることのないお后さまの優しい眼差しは、すっかり自動人形のものだったのだ。
短い休憩の時間、金糸雀は杯を掲げると「お后さま。アレッシオ殿下の、唇を濡らして差し上げたいのです。」と、申し出た。
精巧な自動人形には、機械油しか必要ありませんでしたが、お后さまは頷いた。
彼女には金糸雀と同じように、大切な弟殿下が疲れ切っているように見えていたのだ。
「いいわ。わたくしのアレッシオに、葡萄酒を。」
許しを得て、銀色のカストラートは、深く清らかな友誼で結ばれているように、ひと口の甘い葡萄酒を咽喉奥へと贈った。
がりと辛い岩塩を噛み砕いて、自動人形の喉元に送るとこの上なく慎み深い風情で、王さまと司令官に向けて、しなやかに首尾を告げる杯を上げた。
ほんの僅かな睡眠時間を挟むと、とうとう歌比べは4日目を迎えた。
音楽学院では、カストラートたちには厳しい訓練が行われ、日々の内7,8時間も練習を繰り返すことは当たり前に行われていた。
でも、今の金糸雀はずっと舞台に上がっているような張り詰めた緊張の中で、一日に十何時間も高い声で鳴き続けていたのだった。
酷使に、声帯が悲鳴をあげそうだった。
いつか指を切られそうになったピッコロトランペット奏者が、そうっと音程の緩やかな楽曲を挟もうとしましたが、歌劇に造詣の深いお后さまは、それを知るとお止めになった。
「その曲は、つまらないわ。」
「次はカエサルを。」
一瞬、くらと目眩に襲われた金糸雀は、大きく息を吸い込むと再び精一杯のソプラノを響かせてゆく。
金糸雀の官能的な高音が広間に響き、少なくなった使用人が耳を傾けている中、誰もが金糸雀の顔色がすぐれないのに気が付いた。
さすがに見守っていた王さまが、異変を見抜いて手を上げて止めようとなさいましたが、お后さまは続けるようにと告げた。
「負けを認めるの、金糸雀?」
喉の内部が切れた金糸雀は、血痰をぷっと吐き、蒼白の顔でそれからもう二曲歌い切ると、とうとうその場に崩れ落ちた。
烈しく肩を震わせて、酸素を求めあえぐ金糸雀だった。
「金糸雀・・・もう、良い。」
金糸雀が石の床に倒れる前に、柔らかに受けとめた王さまの忠実な司令官は、もう歌を止めるようにと楽士に合図を送った。
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