淡雪の如く 7
自室に戻って来た良太郎は、部屋に入ろうとしてふと入り口に置かれた柳行李に気が付いた。
「お!来たか。」
人の気配があるということは、入寮の遅れていた同部屋の生徒が、着いたと言うことなのだろう。
声をかけて入った。
「失礼する。」
「あ。君が、同室の佐藤君か?よろしく頼む。」
一目で性格のいいやつだと知れたのは、その屈託の無い笑顔だった。入寮に遅れたのは、何か仔細があったのだろう。
「木羽(きば)市太郎だ。」
「こちらこそ、よろしく頼む。佐藤良太郎だ。木羽君、入寮が遅かったんで入学辞退かと心配したよ。」
「心配させてしまったか。いささか出立に手間取ってね。」
荷解きの手を休めないで、木羽(きば)市太郎は一足早く入寮した良太郎に、学校の話を聞きたがった。
「佐藤君は、寮の他の生徒たちとは話をした?華桜陰は、余所とはかなり違うと言う話だけれど、どうなのかな。」
「今日会ったのは数人だけだな。寮長他、上級生と話をしたよ。ずいぶん噂好きな方々のようだ。それと…西国の如菩薩と白鶴と二つ名を持つ華族がいる。」
良太郎と似たような感性を持っているのだろうか。
木羽市太郎は、思い切りぷっと吹いた。
「あはは……。菩薩だの、鶴だの……それはまた、恐ろしく気の毒なあだ名だな。見て見ろ、鳥肌が立った。」
「そう思うだろう?僕も最初は笑ってしまったんだ。だが、一目会ったら驚くことに、これが二つ名も納得の、錦絵から抜け出たみたいな綺麗な二人連れなんだ。大久保侯爵の子息と従者ということだ。」
「へぇ、全国から目指してくるだけあって、色々な者が寄って来るんだなぁ。楽しみにしてこう。」
「先輩方も中々に個性あふれる面々だよ。階下の副寮長なぞ、挨拶に行ったら旅役者のような総髪で絵羽織を羽織っていて驚いた。」
「できれば上級生は硬派でお願いしたね。僕は学びに来たのだから。」
木羽(きば)市太郎は、貧しいらしく、余り荷物は多くはない。
荷ほどきを手伝ってやりながら、良太郎はしつけの付いた一枚だけが上物なのを認めた。
良太郎の視線に気がついて、木羽はにこにこと嬉しげに破顔した。
「これか?せめて入学式は、人並みの支度をしてやりたいからと言って、母上が無理をして着物を縫ってくれたんだ。明日の入学式に何とか間に合って良かったよ。」
ほら、と両手を広げて短い筒袖の縞の着物を見せた。
「母上はお身体が丈夫ではないのでな。これの仕上がりを待っていて、入寮も遅くなった。」
「武家らしく晴れの日に誂えの晴れ着か。いい母上だなぁ、羨ましい。」
木羽市太郎は赤貧を洗うが如く、貧乏な元士族の出である。家には女中など雇う余裕もなく、母は夫の一張羅の着物を解き、精いっぱい出来うる限りの愛情を込めた。
遅れて門限ぎりぎりに入寮した市太郎は、毎年数人選ばれる学費免除を勝ち取った頭脳明晰な特待生だった。
家の事を考えて、金のかかる進学を諦め、親類に羅卒(警官)の口を捜してもらって殆ど内定していた。だが、華桜陰高校の特待生なら勉強をしながら給金も出るので、こっちに転んでしまったと木羽は笑顔で語った。
「そうか。君、特待生なのか。優秀なのだな。」
「運が良かっただけだよ。大体ここに入れるものは、皆、優秀じゃないか。……あ、もしかすると貧乏士族優先かな。」
嫌味じゃない謙遜を聞いて、良太郎は笑った。
確かに華桜陰高校からの帝大進学者は多かったし、誰もが目指す官費留学も夢ではない。如月財閥の後援する奨学金制度は当時にしては画期的ともいえる支援だった。
華桜陰では学業の出来がよければ、学費はおろか寮費や食費の全てを担ってくれる環境にあった。
幸運にも佐藤良太郎は、入寮一日目にして一生ものの友人を得た。
拍手もポチもありがとうございます。
励みになりますので、応援よろしくお願いします。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
「お!来たか。」
人の気配があるということは、入寮の遅れていた同部屋の生徒が、着いたと言うことなのだろう。
声をかけて入った。
「失礼する。」
「あ。君が、同室の佐藤君か?よろしく頼む。」
一目で性格のいいやつだと知れたのは、その屈託の無い笑顔だった。入寮に遅れたのは、何か仔細があったのだろう。
「木羽(きば)市太郎だ。」
「こちらこそ、よろしく頼む。佐藤良太郎だ。木羽君、入寮が遅かったんで入学辞退かと心配したよ。」
「心配させてしまったか。いささか出立に手間取ってね。」
荷解きの手を休めないで、木羽(きば)市太郎は一足早く入寮した良太郎に、学校の話を聞きたがった。
「佐藤君は、寮の他の生徒たちとは話をした?華桜陰は、余所とはかなり違うと言う話だけれど、どうなのかな。」
「今日会ったのは数人だけだな。寮長他、上級生と話をしたよ。ずいぶん噂好きな方々のようだ。それと…西国の如菩薩と白鶴と二つ名を持つ華族がいる。」
良太郎と似たような感性を持っているのだろうか。
木羽市太郎は、思い切りぷっと吹いた。
「あはは……。菩薩だの、鶴だの……それはまた、恐ろしく気の毒なあだ名だな。見て見ろ、鳥肌が立った。」
「そう思うだろう?僕も最初は笑ってしまったんだ。だが、一目会ったら驚くことに、これが二つ名も納得の、錦絵から抜け出たみたいな綺麗な二人連れなんだ。大久保侯爵の子息と従者ということだ。」
「へぇ、全国から目指してくるだけあって、色々な者が寄って来るんだなぁ。楽しみにしてこう。」
「先輩方も中々に個性あふれる面々だよ。階下の副寮長なぞ、挨拶に行ったら旅役者のような総髪で絵羽織を羽織っていて驚いた。」
「できれば上級生は硬派でお願いしたね。僕は学びに来たのだから。」
木羽(きば)市太郎は、貧しいらしく、余り荷物は多くはない。
荷ほどきを手伝ってやりながら、良太郎はしつけの付いた一枚だけが上物なのを認めた。
良太郎の視線に気がついて、木羽はにこにこと嬉しげに破顔した。
「これか?せめて入学式は、人並みの支度をしてやりたいからと言って、母上が無理をして着物を縫ってくれたんだ。明日の入学式に何とか間に合って良かったよ。」
ほら、と両手を広げて短い筒袖の縞の着物を見せた。
「母上はお身体が丈夫ではないのでな。これの仕上がりを待っていて、入寮も遅くなった。」
「武家らしく晴れの日に誂えの晴れ着か。いい母上だなぁ、羨ましい。」
木羽市太郎は赤貧を洗うが如く、貧乏な元士族の出である。家には女中など雇う余裕もなく、母は夫の一張羅の着物を解き、精いっぱい出来うる限りの愛情を込めた。
遅れて門限ぎりぎりに入寮した市太郎は、毎年数人選ばれる学費免除を勝ち取った頭脳明晰な特待生だった。
家の事を考えて、金のかかる進学を諦め、親類に羅卒(警官)の口を捜してもらって殆ど内定していた。だが、華桜陰高校の特待生なら勉強をしながら給金も出るので、こっちに転んでしまったと木羽は笑顔で語った。
「そうか。君、特待生なのか。優秀なのだな。」
「運が良かっただけだよ。大体ここに入れるものは、皆、優秀じゃないか。……あ、もしかすると貧乏士族優先かな。」
嫌味じゃない謙遜を聞いて、良太郎は笑った。
確かに華桜陰高校からの帝大進学者は多かったし、誰もが目指す官費留学も夢ではない。如月財閥の後援する奨学金制度は当時にしては画期的ともいえる支援だった。
華桜陰では学業の出来がよければ、学費はおろか寮費や食費の全てを担ってくれる環境にあった。
幸運にも佐藤良太郎は、入寮一日目にして一生ものの友人を得た。
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