花菱楼の緋桜 11
振袖新造の支度、「突出し」には、驚くほどの金がかかり、花魁と言えども並みの太夫程度では振袖新造を抱えることはできない。青海花魁の馴染みが目を剥くほどの大金を使ったことは、長く廓に籍を置く緋桜は知っていた。
楼閣主が言うには、百円で家が建つご時世にぽんと大枚五百円ずつ、青海花魁の馴染みの上客二人が豪気にも出してくれたという話だった。
「緋桜はどうすれば青海兄さんの旦那さん方の御恩に報いることができるでありんしょう。教えてくんなまし。わっちには、お返しする方法がわかりんせん……。」
「いいんだよ。お前の兄さんになると決めた日から、今日の晴れの日がわっちの願いでありんした。小さな禿の覚悟を知った時に、身を削ってでもこうしてやろうと、わっちはずっと思っておりんした。」
「青海兄さん。ああ、勿体無い。ありがたいことでありんす……。」
幼い時から苦界にいながら、今だにどこか律義ですれていない緋桜だった。
束の間の逢瀬を楽しむ間柄でありながら、花菱楼の緋桜だけは拍子木までが嘘を言うと言われた花街の娼妓の中で誠を尽くすと言われていた。手練手管に長けた大勢の娼妓の中でただ一人、緋桜は青海に教わった通り嘘をつかずに生きてきた。だからこそ旦那衆は、緋桜に目を掛け可愛がってくれたんだよと青海花魁は笑う。
「わたしは、おまえさんの一番かい?緋桜。」
馴染み客に聞かれると、緋桜は必ずこう答えた。
「わっちは、主さんの何番目でもかないません。けれど……わっちがお傍にいる時だけは、主さんのここの片隅に住まわせてくんなまし。」
とんとんと、紅花で染めた指でそっと胸を突いた。
「緋桜はどこで何をしていても、お大切なぬしさんの事を忘れたことはありんせん。」
水揚げ以来、高いお金を払って上がってくれる上客に、緋桜は、主さんとは束の間の逢瀬なれど、本気でお相手いたしんすと口にした。金で身体は自由にできても、花魁は間夫(恋人)に操を立てて、決して口を吸うのを許さない。だが緋桜は、紅い紅を差した花弁のような甘い唇を馴染みに差し出して、どうぞお好きに吸ってくんなましと告げた。
「花菱楼にご逗留の間、緋桜の身は主さんのものでありんす。どうぞ、存分に吸ってくんなまし。」
「うれしいが、こんな年寄りでもいいのかい?お前のような花魁は初めてだ。本当に情のある子だよ。」
「緋桜は、花菱楼一の青海花魁の弟娼妓でございんす。青海花魁に、頂いた真心には同じように真心をお返しするものと教わりんした。」
「良い心がけだね。緋桜。わたしの胸に住んでおくれ。大事にしようよ。」
「あい。花菱楼の緋桜の間夫はぬしさんでありんす。」
そう言われるとたいていの客は正規の金額の上に、気前よく、もう一本札束を乗せた。
*****
一方、緋桜の花魁道中に「安曇」と声を掛けたのは、やはり幼馴染の磯良だった。
花魁道中の邪魔をしたかどで、若い衆に取り囲まれて、その場で地べたに押さえつけられ、厳しく割竹で打ち据えられていたのを、浅木がみとがめ連れて来た。
磯良は、花菱楼の坪庭に縄目を受けたまま、引き据えられていた。
「どうしたね。この這いつくばった亀の兄さんは、無銭かい?盗人かい?仔細があるなら、聞いてやろうじゃないか。」
「あ、浅木さん。この浅黄裏(田舎侍)が、緋桜の花魁道中を邪見にしやがったんで引っ掴まえてきやした。いっそ、会所の役人に引き渡しちまいますかい?緋桜の初めての花魁道中だってのに、こいつのせいで危うく初日を台無しにしちまう所だった。」
「緋桜の花魁道中を……?ってことは。」
見れば粗末ななりだが、脇差しを腰に帯びている所を見ると、御維新後の今や帝都では久しく見かけなくなった侍の末裔らしい。さすがに髷は乗せていないが、どう見ても、時代錯誤な田舎者だった。浅木に向かって、男は丁重に頭を下げた。
「こちらの方々に迷惑をかけるつもりはなかった。この通り、詫びを言う。幼い頃に別れた愛しい者の姿を見かけ、つい声を掛けてしまったのだ。申し訳もない。」
「おまえさん……、もしや、磯良さんっていうのかい。」
「わたしの名を……?いかにも、酒井磯良と申す。」
浅木は脳裏で、緋桜花魁が入ったばかりのころ、幼い身体に『検め』をしたのを思い出した。何も知らない未通の緋桜を散々に嬲って、精通もない幼い身体にいやしい劣情を叩きこんだ。哀れと思ったが、娼妓として生きる覚悟を決めるには必要なことだったと今でも思う。
湯殿で固い身体を開き、決して元には戻れない覚悟を決めさせたのは自分だった。
あの日、緋桜になった小さな禿は「磯良さん」と何度も恋しい人の名を呼んでいた。
「さて……兄さんは見たところ、廓なぞに御用がお有りとは思えない体裁だが、いったい何の御用で来なすった?花街に廓は数あれど、花菱楼はそん所そこらの御仁には手の出ない、ちょいと値の張る特上の楼閣でござんすよ。」
田舎侍は、痩躯を折り曲げその場で平伏した。
「貴公が廓で働くものならば、無理は承知で頼みがある。いずれきちんと客として上がるつもりだった。貴公らが緋桜と呼ぶ花魁と、一夜を共にしたい。金なら、ここに用意してある。」
浅木は振り返って、上からこちらをうかがう青海花魁に目配せをした。
(`・ω・´) 磯良:「酒井磯良と申す。」
( -ω-)y─┛~~~~青海:「やれやれ、とんだ田舎侍だよ。」
(´・ω・`) 磯良:「決めてきたのに……」
本日もお読みいただきありがとうございます。
磯良さんを、思いっきり田舎者に書いてしまいました。
明治も終わりのころの設定なのに、脇差って…… 此花咲耶
楼閣主が言うには、百円で家が建つご時世にぽんと大枚五百円ずつ、青海花魁の馴染みの上客二人が豪気にも出してくれたという話だった。
「緋桜はどうすれば青海兄さんの旦那さん方の御恩に報いることができるでありんしょう。教えてくんなまし。わっちには、お返しする方法がわかりんせん……。」
「いいんだよ。お前の兄さんになると決めた日から、今日の晴れの日がわっちの願いでありんした。小さな禿の覚悟を知った時に、身を削ってでもこうしてやろうと、わっちはずっと思っておりんした。」
「青海兄さん。ああ、勿体無い。ありがたいことでありんす……。」
幼い時から苦界にいながら、今だにどこか律義ですれていない緋桜だった。
束の間の逢瀬を楽しむ間柄でありながら、花菱楼の緋桜だけは拍子木までが嘘を言うと言われた花街の娼妓の中で誠を尽くすと言われていた。手練手管に長けた大勢の娼妓の中でただ一人、緋桜は青海に教わった通り嘘をつかずに生きてきた。だからこそ旦那衆は、緋桜に目を掛け可愛がってくれたんだよと青海花魁は笑う。
「わたしは、おまえさんの一番かい?緋桜。」
馴染み客に聞かれると、緋桜は必ずこう答えた。
「わっちは、主さんの何番目でもかないません。けれど……わっちがお傍にいる時だけは、主さんのここの片隅に住まわせてくんなまし。」
とんとんと、紅花で染めた指でそっと胸を突いた。
「緋桜はどこで何をしていても、お大切なぬしさんの事を忘れたことはありんせん。」
水揚げ以来、高いお金を払って上がってくれる上客に、緋桜は、主さんとは束の間の逢瀬なれど、本気でお相手いたしんすと口にした。金で身体は自由にできても、花魁は間夫(恋人)に操を立てて、決して口を吸うのを許さない。だが緋桜は、紅い紅を差した花弁のような甘い唇を馴染みに差し出して、どうぞお好きに吸ってくんなましと告げた。
「花菱楼にご逗留の間、緋桜の身は主さんのものでありんす。どうぞ、存分に吸ってくんなまし。」
「うれしいが、こんな年寄りでもいいのかい?お前のような花魁は初めてだ。本当に情のある子だよ。」
「緋桜は、花菱楼一の青海花魁の弟娼妓でございんす。青海花魁に、頂いた真心には同じように真心をお返しするものと教わりんした。」
「良い心がけだね。緋桜。わたしの胸に住んでおくれ。大事にしようよ。」
「あい。花菱楼の緋桜の間夫はぬしさんでありんす。」
そう言われるとたいていの客は正規の金額の上に、気前よく、もう一本札束を乗せた。
*****
一方、緋桜の花魁道中に「安曇」と声を掛けたのは、やはり幼馴染の磯良だった。
花魁道中の邪魔をしたかどで、若い衆に取り囲まれて、その場で地べたに押さえつけられ、厳しく割竹で打ち据えられていたのを、浅木がみとがめ連れて来た。
磯良は、花菱楼の坪庭に縄目を受けたまま、引き据えられていた。
「どうしたね。この這いつくばった亀の兄さんは、無銭かい?盗人かい?仔細があるなら、聞いてやろうじゃないか。」
「あ、浅木さん。この浅黄裏(田舎侍)が、緋桜の花魁道中を邪見にしやがったんで引っ掴まえてきやした。いっそ、会所の役人に引き渡しちまいますかい?緋桜の初めての花魁道中だってのに、こいつのせいで危うく初日を台無しにしちまう所だった。」
「緋桜の花魁道中を……?ってことは。」
見れば粗末ななりだが、脇差しを腰に帯びている所を見ると、御維新後の今や帝都では久しく見かけなくなった侍の末裔らしい。さすがに髷は乗せていないが、どう見ても、時代錯誤な田舎者だった。浅木に向かって、男は丁重に頭を下げた。
「こちらの方々に迷惑をかけるつもりはなかった。この通り、詫びを言う。幼い頃に別れた愛しい者の姿を見かけ、つい声を掛けてしまったのだ。申し訳もない。」
「おまえさん……、もしや、磯良さんっていうのかい。」
「わたしの名を……?いかにも、酒井磯良と申す。」
浅木は脳裏で、緋桜花魁が入ったばかりのころ、幼い身体に『検め』をしたのを思い出した。何も知らない未通の緋桜を散々に嬲って、精通もない幼い身体にいやしい劣情を叩きこんだ。哀れと思ったが、娼妓として生きる覚悟を決めるには必要なことだったと今でも思う。
湯殿で固い身体を開き、決して元には戻れない覚悟を決めさせたのは自分だった。
あの日、緋桜になった小さな禿は「磯良さん」と何度も恋しい人の名を呼んでいた。
「さて……兄さんは見たところ、廓なぞに御用がお有りとは思えない体裁だが、いったい何の御用で来なすった?花街に廓は数あれど、花菱楼はそん所そこらの御仁には手の出ない、ちょいと値の張る特上の楼閣でござんすよ。」
田舎侍は、痩躯を折り曲げその場で平伏した。
「貴公が廓で働くものならば、無理は承知で頼みがある。いずれきちんと客として上がるつもりだった。貴公らが緋桜と呼ぶ花魁と、一夜を共にしたい。金なら、ここに用意してある。」
浅木は振り返って、上からこちらをうかがう青海花魁に目配せをした。
(`・ω・´) 磯良:「酒井磯良と申す。」
( -ω-)y─┛~~~~青海:「やれやれ、とんだ田舎侍だよ。」
(´・ω・`) 磯良:「決めてきたのに……」
本日もお読みいただきありがとうございます。
磯良さんを、思いっきり田舎者に書いてしまいました。
明治も終わりのころの設定なのに、脇差って…… 此花咲耶
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