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花菱楼の緋桜 15 


部屋の外に待っていた磯良の姿を見て、緋桜のやっと止まった涙が再び滂沱の滝となった。

「い、磯良さんっ!……帰ったのかと……思っ……」

「安曇。綺麗なこしらえなのに、そんなに泣いたらお化粧が崩れてしまうよ。」

緋桜は小さな安曇となって、幼い時のように磯良の手を取った。あの日とは逆に固く握って磯良の手を曳いた。

「磯良さん。青海兄さんのお部屋に行こう。優しい青海兄さんが、部屋を使っていいよっておっしゃったの。」

「安曇……それは……。」

「青海兄さんは、いつでもわっちのお味方。ここに来た最初の日に、そう言ってくれたんだよ。誰が何を言おうとも、味方だよって。」

「安曇……。」

花菱楼の豪奢な作りに気圧され、ただ名前を繰り返すばかりになってしまった磯良は、覗き込んだ幼馴染の余りに華やかな花魁の姿に息をのみ、今更ながらに動揺していた。場違いな田舎侍が、どうでもいい昔の約束を質に花魁の元に押しかけてきた、そう思われているのではないかと思い、つい怖気づいてしまう。

姿見の中から打掛を滑り落として、じっと華やかな花魁の瞳が磯良の姿を見つめていた。
差すのが難しいほど数ある簪(かんざし)笄(こうがい)松の形の櫛を外し、手慣れた仕草で緋桜花魁が鏡台の前に並べてゆく。大玉の紅珊瑚がころりと転がった。
飾りのない伊達兵庫を崩し、こちらを向いたら磯良の知る可愛い安曇の面影があってほっとした。

「磯良さん。ずっと来てくれるのを待ってたよ。……ぼくね、お盆に灰を入れてこしらえた暦に丸を付けて、いつか会えるって毎日指折り数えていたんだよ。」

「安曇……」

健気でいじらしかった小さな安曇。守りきれなくてこの子は、女衒に手を曳かれた。
下帯を入れた風呂敷包みを一つだけ持って、九つで親に売られた安曇は十で禿になった。そして十七歳で花菱楼の花魁になった。

「ぼくねぇ、磯良さんが教えてくれた論語、今でも少しは覚えてるんだよ。」

「論語を?そうか。」

「空んじてみようか?」

安曇は、きちんと坐りなおすと、軽々と口にした。

「曾子(そうし)の曰(い)わく、われ日に三(み)たび吾が身を省(かえりみ)る。」

「人の為めに謀(はか)りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか……どう、合っている?」

「おお、良く覚えているな。みんな合っているとも。安曇は利口な子だったからなぁ。」

<意訳>
私は、日に三回反省する。人に真心で接したか、
友に対して誠実であったか、受け売りを教えなかったか。

「ご用をしながら口ずさんでいた時にね、男女郎の心得を教えてくださった、番頭新造の浅木兄さんが褒めて下すったんだよ。そういう心掛けで居ろよ。いい事を習って来たなぁ……って。磯良さんが褒めてくれたみたいで、嬉しかった。」

「ほら見て……、もう、やっとうのお稽古はできなくなったから、刀だこはなくなってこんな細い白い手になってしまったの。まだ、ちゃんと刀を振れるかなぁ……あ、刀はお触れが出て、お取り上げになったんだったね……。」

伏せたまつ毛に露が宿り、そのまま広げた手のひらに転がり落ちる。
紅い唇が震えて、思いを告げた。

「磯良さん。わ……わっちを抱いてくんなまし。」

「安曇?」

「すっかり大人になってしまったけれど、まだ後孔は、そんなに崩れていないと思う。緋桜花魁のお客さんは、青海兄さんが吟味した優しい人ばかりだったから、ひどくはされなかったの。だ……から、だから、男女郎になった安曇で構わなければ……磯良さんと……一つになりたい。」

必死に誘う手管もぎこちない、緋桜花魁の初々しく上気した頬に、磯良はそっと口唇を落とした。ぐいと襟に手を掛けると、思わず手が上がりかかった。
滑らせた手で、裾を割ったら息を詰めるのが分かる。頬を染めて緋桜が胸に縋った。

「磯良さん……安曇は、昔からいっとう磯良さんだけが好きだった。ずっと、磯良さんだけ。」

「わたしも、ずっと安曇が可愛かったよ、安曇……。おいで。」

「あ……い。」

泣き虫の緋桜の嗚咽が、野良で鍛えたの磯良の厚い胸板に吸われてゆく。
磯良は男を抱くのは初めてだった。
女も祭りの日に、向こうから夜這いを掛けられた数度しか経験がない。
縁談はいくつかあったが、その気がなかった。嫁など娶っては金がかかる。食べる物も、着るものもひたすら倹約して、安曇に逢うためだけに守銭奴となって金を貯めて来た。

やっと着いた花菱楼では、顔を見るだけで信じられないほどの金がいると判り、諦めかけた所へ信じられない申し出がありここにいる。
見違えるほど綺麗になったやせっぽちの幼馴染が、花菱楼で艶やかな桜花になった。
甘い吐息が闇に溶けた……。




(*/∇\*) キャ~ 緋桜:「誘っちゃった~~~。

(〃ー〃) 磯良:「安曇。可愛い。」


本日もお読みいただき、ありがとうございました。

少し長くなるので、続きのお話を分けました。
引っ張ってごめんね。後二話です。
よろしくお付き合いください。(*⌒▽⌒*)♪    此花咲耶

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