花菱楼の緋桜 9
青海花魁は、懐にすっぽりと入るほど小さな緋桜を、抱えなおした。
緋桜に覚悟がなければ、いっそ自腹を切って故郷に帰してやろうかとさえ思っていた青海花魁だった。
「わっちも、似たような境遇でありんすよ。おまえはどこか、わっちに似ているような気がいたしんす。ねぇ、緋桜や……おや、泣き寝入ってしまったか。」
濡れた黒い目が、細く三日月になり青海の胸に縋りついていた。
緋桜の覚悟は、ずっと昔に青海花魁が涙したのと同じ覚悟だった。
緋桜は、恋しい磯良をその日を限りに、胸の奥に大切にしまった。
******
禿(かむろ)緋桜は、青海花魁に可愛がられ、めきめきと芸事の腕を上げていった。
筝(そう)と三味線の名手と言われた青海花魁は、自由な時間を緋桜の稽古に費やしてくれた。花魁になるには、和歌、茶事、書など身に付けねばならないことは多い。
緋桜はわっちの禿でありんすからと、羽振りの良い旦那衆に折りを見ては引き合わせ、いつか緋桜が水揚げするその日を我事のように楽しみにしていた。
15、16歳になれば、禿は遊女見習い、振袖新造になる。
17歳になった緋桜は、兄貴分の青海花魁の引きもあり、晴れて振袖新造になることを許された。
ここまで良く頑張った褒美に、楼閣主が新しい衣装を贈ってくれた。
振袖新造となると、時には名代として青海花魁の代わりに、客の元に添い寝をしに呼ばれることもある。名実ともに振袖新造緋桜は、花菱楼の花魁と呼ばれるようになった。
「おや、この子が青海花魁の名代かい?これはまた、青海花魁はずいぶんと可愛らしいのを寄越したもんだね。」
「あい。主さん。緋桜でありんす。青海花魁が身体が空くまで、わっちの大切な人のお顔を見ておいでといいんした。」
「そうかい。なら、青海が来るまで、ちっと酌でもしてもらおうか。」
「あい。失礼いたしんす。」
年のころは、35を超えたばかりだろうか。この優しい大きな銀行家が青海花魁のいい人だと言う話だった。
気に入ってもらえたら、きっと御贔屓さんを紹介してくださるからねぇ、気張るんだよと言われていた。
青海花魁の馴染みの男は、青海が惚れただけあって気風も男振りも気前もよかった。
*****
花菱楼は押しも押されぬ界隈一の高級娼館だ。
客が花魁を選ぶのが普通なら、花菱楼では楼閣主自らが登楼する客を選りすぐる。
楼閣主の眼鏡にかなった客たちは、束の間の逢瀬を楽しむために大枚を湯水のごとく消費し、手を曳かれ室へと消えてゆく。政府の要職にある者、大商人の旦那方、異国の船長と、客は多岐にわたった。彼らは黄金で一夜の夢を買う。
無論、娼館だから、選ばれたとはいえ金はあっても器量のいい者ばかりとは限らない。花菱楼では、客人がどんな御面相であろうと病気持ちでない限り、恥をかかせることなく必ず相手をした。
つい先日も、大名家の類焼を防ぐため、火の粉を浴びて顔半分を醜く焼いた火消しの相手をした青海花魁は、ひどい面相と知っても決して嫌がらなかったと言う。
頬かむりをした男の前にずいと足を進めて、引きつった傷を指でなぞり「主さんの男気は、まっこと日の本一の華でございんす。」と、唇を寄せた。その笑顔は蕩けるように艶めかしかった。
「主さんが帝都を護ってくださらなかったら、この青海の顔(かんばせ)が代わりに燃えていたかもわかりんせん。それを思うと、青海はわっちの代わりに焼いた顔が愛しうてなりんせん。主さんは当代一の御器量でございんすなぁ。」
傷に投げかけられる心無い周囲の言葉に、頬かむりを外せなかった火消しは、青海の言葉に救われた。帰りは胸を張り、堂々と顔を晒して大門をくぐった。背中に白く、め組の字を染め抜いた火消の印半纏(はんてん)を誇らしげに羽織っていた。
江戸の町火消しの元締め連中が、競って青海花魁に花を届けたのは言うまでもない。
高級娼館の中で、誰よりも気さくに蓮っ葉な物言いをしながら、娼妓の真髄を知る青海花魁は、ある意味見事に花菱楼の屋台骨を支えていた。
青海花魁の心意気は評判となり、ますます天下に花菱楼の名声は上がってゆく。
明烏が鳴くまで、この世の極楽で花魁たちは弁天となり、客人を極楽へと誘い夢を紡いでいた。
(〃゚∇゚〃) 緋桜:「青海兄さん、かっこいい~……」
(〃^∇^)o彡青海:「うふふ~」
(`・ω・´) 「緋桜は17歳になり、振袖新造になりんした。」
本日もお読みいただきありがとうございました。 此花咲耶
緋桜に覚悟がなければ、いっそ自腹を切って故郷に帰してやろうかとさえ思っていた青海花魁だった。
「わっちも、似たような境遇でありんすよ。おまえはどこか、わっちに似ているような気がいたしんす。ねぇ、緋桜や……おや、泣き寝入ってしまったか。」
濡れた黒い目が、細く三日月になり青海の胸に縋りついていた。
緋桜の覚悟は、ずっと昔に青海花魁が涙したのと同じ覚悟だった。
緋桜は、恋しい磯良をその日を限りに、胸の奥に大切にしまった。
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禿(かむろ)緋桜は、青海花魁に可愛がられ、めきめきと芸事の腕を上げていった。
筝(そう)と三味線の名手と言われた青海花魁は、自由な時間を緋桜の稽古に費やしてくれた。花魁になるには、和歌、茶事、書など身に付けねばならないことは多い。
緋桜はわっちの禿でありんすからと、羽振りの良い旦那衆に折りを見ては引き合わせ、いつか緋桜が水揚げするその日を我事のように楽しみにしていた。
15、16歳になれば、禿は遊女見習い、振袖新造になる。
17歳になった緋桜は、兄貴分の青海花魁の引きもあり、晴れて振袖新造になることを許された。
ここまで良く頑張った褒美に、楼閣主が新しい衣装を贈ってくれた。
振袖新造となると、時には名代として青海花魁の代わりに、客の元に添い寝をしに呼ばれることもある。名実ともに振袖新造緋桜は、花菱楼の花魁と呼ばれるようになった。
「おや、この子が青海花魁の名代かい?これはまた、青海花魁はずいぶんと可愛らしいのを寄越したもんだね。」
「あい。主さん。緋桜でありんす。青海花魁が身体が空くまで、わっちの大切な人のお顔を見ておいでといいんした。」
「そうかい。なら、青海が来るまで、ちっと酌でもしてもらおうか。」
「あい。失礼いたしんす。」
年のころは、35を超えたばかりだろうか。この優しい大きな銀行家が青海花魁のいい人だと言う話だった。
気に入ってもらえたら、きっと御贔屓さんを紹介してくださるからねぇ、気張るんだよと言われていた。
青海花魁の馴染みの男は、青海が惚れただけあって気風も男振りも気前もよかった。
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花菱楼は押しも押されぬ界隈一の高級娼館だ。
客が花魁を選ぶのが普通なら、花菱楼では楼閣主自らが登楼する客を選りすぐる。
楼閣主の眼鏡にかなった客たちは、束の間の逢瀬を楽しむために大枚を湯水のごとく消費し、手を曳かれ室へと消えてゆく。政府の要職にある者、大商人の旦那方、異国の船長と、客は多岐にわたった。彼らは黄金で一夜の夢を買う。
無論、娼館だから、選ばれたとはいえ金はあっても器量のいい者ばかりとは限らない。花菱楼では、客人がどんな御面相であろうと病気持ちでない限り、恥をかかせることなく必ず相手をした。
つい先日も、大名家の類焼を防ぐため、火の粉を浴びて顔半分を醜く焼いた火消しの相手をした青海花魁は、ひどい面相と知っても決して嫌がらなかったと言う。
頬かむりをした男の前にずいと足を進めて、引きつった傷を指でなぞり「主さんの男気は、まっこと日の本一の華でございんす。」と、唇を寄せた。その笑顔は蕩けるように艶めかしかった。
「主さんが帝都を護ってくださらなかったら、この青海の顔(かんばせ)が代わりに燃えていたかもわかりんせん。それを思うと、青海はわっちの代わりに焼いた顔が愛しうてなりんせん。主さんは当代一の御器量でございんすなぁ。」
傷に投げかけられる心無い周囲の言葉に、頬かむりを外せなかった火消しは、青海の言葉に救われた。帰りは胸を張り、堂々と顔を晒して大門をくぐった。背中に白く、め組の字を染め抜いた火消の印半纏(はんてん)を誇らしげに羽織っていた。
江戸の町火消しの元締め連中が、競って青海花魁に花を届けたのは言うまでもない。
高級娼館の中で、誰よりも気さくに蓮っ葉な物言いをしながら、娼妓の真髄を知る青海花魁は、ある意味見事に花菱楼の屋台骨を支えていた。
青海花魁の心意気は評判となり、ますます天下に花菱楼の名声は上がってゆく。
明烏が鳴くまで、この世の極楽で花魁たちは弁天となり、客人を極楽へと誘い夢を紡いでいた。
(〃゚∇゚〃) 緋桜:「青海兄さん、かっこいい~……」
(〃^∇^)o彡青海:「うふふ~」
(`・ω・´) 「緋桜は17歳になり、振袖新造になりんした。」
本日もお読みいただきありがとうございました。 此花咲耶
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