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花菱楼の緋桜 4 

やがて安曇は、女衒の銀二に手を曳かれ、生まれ故郷を出た。
帝都に着いて見上げた花菱楼の建物は、桟瓦葺の見たこともない黒漆塗りの二階建てで、安曇は張見世の華やかな紅の格子に目を瞠った。
夕暮れになると雪洞を模した街灯がつけられ、あたりはまるで昼間のようになるという。

「さあ。ぼんやり眺めていないで、お前はこっちから入るんだよ。」

禿の見習いとして雇い入れられた安曇は、楼閣主の前で行儀よく手をつき挨拶を済ませた。
「兄さん」となる花魁と顔合わせをした安曇は、もうそれこそ、絵草子の乙姫が現実に現れたのを見ているようにあんぐりと口を開けたままだった。

「よく来たね。わっちの名は青海でありんすぇ。おまえに名前を付けてあげんしょう。おや……どうしたね。この子はものが言えないのかい?」

女衒の銀二が慌てて、ご挨拶をおしと安曇をつついた。

「どうぞよろしゅう……。」

花菱楼での名前は、艶やかな花形花魁が付けてくれた。

「おまえ、好きな花の名前はなんだぇ?」

「花は……緋寒桜でございんす。」

磯良にもらった緋寒桜の花蕾を、懐紙に挟んで懐に忍ばせていた。

「緋寒桜か。早くに咲く桜だね。だが、緋寒桜は悲観に通じて余り良くないねぇ。でありんしたら、おまえの名は緋桜にしようかね。どうだえ?安曇も綺麗な名だが、本名じゃない方が良いだろう。朱い桜なんざ、粋でないかえ。」

「あい。綺麗な名前でうれしいで…あ、ありんす。」

「よし。今日からお前は緋桜だよ。」

******


花菱楼の門をくぐった日、こうして安曇は花菱楼の青海花魁付きの禿、緋桜になった。

それから半時もしたころ、緋桜がいないところで兄さんになった青海花魁は、安曇と同郷の東雲花魁と激しくやりあっていた。

「反対だ。いくらなんでも、廓に来た日に身体検め(あらため)させるなんざ可哀想だろう?青海。仕事に慣れた何年か先でいいじゃないか。」

「うるさいねぇ、わっちにはわっちの考えがありんすぇ。横槍を入れるのはやめてくんなまし。」

「あの子をご覧よ。右も左もわからぬ童じゃないか。」

緋桜の面倒を見てくれる青海花魁は、ほかの花魁とは少し違っている。廓の裏門をくぐった新参者に優しく名前を付けてくれたが、仕事に関しては甘い顔は決してしなかった。
華やかで甘く客人にしなだれかかる花菱楼の花魁たちとは一線を画した、凛と澄んだ五月の空に咲く菖蒲のような風情だった。幼い禿には普通はしない、新参者の「検め」をすると言う。

「青海。どう考えても哀れでならない。あの子はどうみたって、皮被りの子供じゃないか。」

「わかっていんす。でありんすからこそ、最初にこの仕事がどんなものか、身を持って知るのが必要なんでありんす。」

東雲花魁はいらいらと長煙管で障子の桟を叩き、花魁らしからぬ低い声を荒げた。

「廓言葉で、ごまかすな!青海。いずれは身体を売るのだとしても、禿の間は2、3年下働きをさせておけばいいだろう。いきなり剥いたら、あの子がどうなると思ってる。泣くくらいじゃ済まないぞ。」

「東雲こそ、何もわかってない。緋桜は俺に付いた禿だ。余計な世話はありがた迷惑だ。何もいきなり花魁の手練手管を教えようってんじゃない。ここで自分がどんな仕事をするか、初めに夢を見ないように教えておくだけだ。」

決して言を聞き入れない青海に、ついに東雲は切れた。
自分の抱える禿や新造にまで、いつも優しく気配りのできる青海花魁が今度ばかりはまるで人が違ったように冷酷に見えた。何か気にらないところでもあるのかと思い直して覗いた限り、たいそう行儀のよい子で人気(ひとけ)がなくとも、きっちりと正座したまま足を崩したりもしていなかった。幼くとも武家の子だった。

「いい加減にしろ!あんないとけない子に、何のつもりだ。検め(あらため)なんざしたら、心が、壊れちまうぞ。それでも良いのか!」

「……幼いからこそ、辛い事実を知らなきゃならないこともあるんだ。見ればわかる、緋桜は武家出身だ。口では分かったと言いながら、店出しの前日に首をくくった青紫(せいし)のことは君も知っているだろう?あの子は武家出身だったよ。武家の子は潔く死ぬことを、むしろ美徳だと思っている。残されたものの気持ちなぞ、何とも思わないんだよ。」

「青紫か……。あの子は、とうとう最後まで水に馴染めなかったね。明るい子だったけど……。」

「苦界の意味も知らず、廓を綺麗な着物を着ておいしいものを食べられる場所だと思って居たのさ。あんな思いをするのは、もうたくさんだ。心の柔らかい子供だからこそ、耐えられることもあるんだ。なあ、東雲。あの子の覚悟が本物かどうか見てやろうじゃないか。どうしてもだめだったら、俺はあの子を男女郎にさせたくないと思っている。」

「……そういうことだったのか。きついことを言ってすまなかった、青海。青紫が亡くなったとき、一番嘆いたのは君だったのに、失念していたよ。そうだな、禿の身の立つように考えてやるのが「兄さん」だ。」

東雲花魁は、やっと青海の心情を理解した。青海は亡くしてしまった心弱い弟分と、安曇を重ねていた。思えば東雲花魁が、初めて花菱楼に来たのも安曇と同じ年の頃だった。
自分は貧しい農家の倅だったから、食うためだと割り切れたが、青紫は高い自尊心に潰された。
ふっと、花蕾が綻ぶように青海花魁が破顔し、三つ指をついた。

「わっちの禿、緋桜を、よろしくおねがいしんす。東雲兄さん、どうぞよしなに可愛がってやってくんなまし。」

******

二人が意味深な会話をしている頃、安曇はゆったりと足を延ばして、湯殿にいた。なぜ、広い湯屋にたった一人なのかも考えの及ばない子供だった。栄養が足りていない骨と皮の、か細い小さな身体だった。

磯良にもらった論語の本と、下帯を入れた風呂敷包み一つを持って花菱楼にやってきた安曇に、楼閣での名前をくれた華やかな花魁が「緋桜」と名を呼んだ。

「いいかえ?おまえも緋桜と名を変え、男女郎となりんした今は、覚悟をしなくてはなりんせん。」

「あい。青海兄さん。」

「湯屋へ行っておいで。話はそれからだ。」

緋桜と名のついた安曇は、こくと深く肯いた。元より、腹は決まっていた。
花菱楼に来た時は、伸びっぱなしの髪を茶筅一つにきりりと縛った、ざんばら髪だったが、緋桜と名前を貰った今は、髪結いの手できちんと前髪も揃えられて、赤い振袖の可愛らしい禿になっている。
丸い大きな花簪が似合っていた。




(´・ω・`) 安曇:「今日から、緋桜でありんす。」

 ( -ω-)y─┛~~~~青海花魁:「しっかりおやり。緋桜。」




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