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わんことおひさまのふとん 1 

俺のお母ちゃんは、俗にいう深窓のお嬢さまだった。
お屋敷の奥で、悪い虫が寄ってこないように文字通り箱入り娘として大切に育てられていたらしい。
美人で有名なロシア生まれの母ちゃんが、たまに外へ出かけたりすると、余りの美貌に引き寄せられてあっという間に人だかりができる。
母ちゃんを溺愛していた、お屋敷の奥様は母ちゃんの事を「ジョセフィーヌちゃん」と呼んでそれこそ猫かわいがりして自慢していた。
記憶の中の母ちゃんは、本当にため息が出るほど綺麗な女だったんだ。

母ちゃんの周囲に居る取り巻き連中は、銀髪碧眼のロシア生まれのやつとか、ドイツ生まれの精悍なやつとか、それはもう目を引く華やかな面々で文字通り「ジョセフィーヌちゃんのグッドルッキングガイ」と、お屋敷の奥様は呼んでいた。
それなのに、そんな美貌の母ちゃんは世間知らずだったばっかりに、町へ流れてきたやさぐれた俺の父ちゃんに一目ぼれしたらしい。
どうやら母ちゃんは、その頃、余りに綺麗な男たちに飽きて辟易(へきえき)して刺激が欲しかったらしいのだ。野性味あふれる父ちゃんの、雄の匂いに引き付けられた母ちゃんはただ一度の恋に燃えた。
深窓のお嬢様は、習い事の帰り道(しつけ教室)すべてを投げ捨てて、父ちゃんに走った。

「お嬢さん、俺に触ると怪我するぜ。さあ、遅くならない内に帰りな。」

苦み走った男は、ひたすら渋かった。

「俺に惚れちゃいけないよ。こんなやくざな渡世人に惚れちまったら、泣くのはあんただぜ。」

と、理性があったころの父ちゃんは、母ちゃんの熱い視線につれなく恰好よかったらしい。
その時の母ちゃんは、縞の合羽(かっぱ)に長ドスひっさげた三度笠の渡世人に惚れた、大店の娘さんといったイメージだろうか。

「あんたには、もっと似合いのやつがいるじゃねぇか。さあ、涙を拭いてあんたの世界に帰りな。俺とあんたじゃ、住む世界が違うんだよ。」

「いや、いや。わたくしを帰さないで。どうかお願い、わたくしをあなたの一夜限りのお嫁さんにして。たった一夜を思い出に、わたくしはずっと生きて行きますから……。」

別れを告げに来た父ちゃんに母ちゃんは必死に縋り、長次郎さん、お願い、行かないでえぇ―――と、よよ……と、泣き崩れたらしい。

「まったく、俺も罪な男だぜ。」

脳髄に響く魅惑の重低音でそう言ったかどうかはわからないけど、流れものの父ちゃんは、結局母ちゃんの渾身の誘惑に負けてしまい、とうとうお屋敷の片隅で、激しく腰を振ったのだった。「据え膳喰わぬは、男の恥」は、万国共通、生きとし生けるものの男の信条だった。

「きゃああぁぁーーーっ!ジョセフィーヌちゃんが、野良犬に襲われているわ~~!」

「あっちへ行きなさい、この野良犬!バカバカっ!」

ホースで水をぶっかけられて引き離され、箒で追い立てられて父ちゃんはこの町を去った。
消えゆく長い影を母ちゃんは追った。

「待って~~~っ!長次郎さ~~ん!」

「ジョセフィーヌ、泣いちゃあいけねぇよ。明けない夜がないように、縁さえあればいつか会えるだろうよ。さあ、涙を拭きな。」

「でも、でも……よよ……。わたくしのお腹には、あなたの子が宿って……」

百発百中、さすがに父ちゃんのやることにそつはなかった。
だけど結局父ちゃんは、後ろ髪を引かれながらも母ちゃんと別れることを選んだんだ。元より野良の父ちゃんが、一つ所に定住するはずはなかった。
どう考えても、お嬢様育ちの母ちゃんには、貧乏な野良暮らしなどできるわけなかったから父ちゃんは母ちゃんを連れて行かなかった。

「いいかい、ジョゼフィーヌ。空を見上げれば中空にお天道さんがあるだろう?あんたが空を見上げる時、きっと俺も同じものを見てると思いなよ。」

「でも、でも……、一人で寂しい夜は何を見たら……?一人っぼっちは、悲しいわ。寂しいわ。わたくし、いつもあなたを思い出して泣くわ。」

父ちゃんは母ちゃんの鼻面を舐め上げ、男前に告げた。

「馬鹿だなあ……。そこには、まぁるいお月さまがかかっているじゃねぇか。俺はいつだって、おまえの傍にいるのさ。」

父ちゃんは最後にもう一度、烈しく腰を打ち付けて、母ちゃんを後にした。

「おまえは、俺が今までに出会った女の中で、一番いい女だったぜ。忘れねぇよ。」

「長次郎さ~ん……」




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1 Comments

此花咲耶  

拍手コメントさま

コメントありがとうございます。

人型わんこが出てきます。わんこのとうちゃんとかあちゃんの出会いの場面です。
かっこいいんですけど、とうちゃんは本能に忠実ないけいけの感じです。
人間臭くしてみました。
加筆がんばります!(`・ω・´)

2012/01/30 (Mon) 09:20 | REPLY |   

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