朔良咲く 15
いつものように水中歩行訓練をした後、朔良はマッサージを受けながらインストラクターと話をしていた。
どこか飄々としていて、側に居ても圧迫感がなく、二人きりの空間は心地よかった。
主治医の友人と聞いて、余計な垣根が出来なかったのかもしれない。彩と家族、主治医以外の人間の前で、朔良が打ち解けて饒舌になる事は余り無かったが、この男とは不思議なことに自然と会話が続いていた。最近、小橋という名前なのだと知った。
「先生。お聞きしたかったんですけど、理学療法士ってなるのは大変ですか?」
「お?朔良君は理学療法士に興味があるの?」
「根性なしなので、難しかったら投げてしまうかもしれないんですけど、自分に何かできないかとずっと考えていたんです。」
「根性はあると思うけどな。朔良くんの足みたいに、固まりかけた筋肉を解すのはかなり苦痛を伴ったはずなんだ。良く我慢してるよ。」
「ええ……、正直、今も泣きそうです。」
「ここはどう?まだ痛むかい?」
くっと筋肉に沿って指が入ると、今も痺れるような鈍い痛みが走り、顔が歪む。
「少し調べてみると良い。昔と比べると専門学校も倍増したし、作業療法士というのもある。俗に体育会系の理学療法士、文科系の作業療法士って言うね。君にはどっちが向いているだろうなぁ。」
「そうなんですか。面白いですね。」
「国家資格だから、行くつもりなら学校はきちんと選んだ方が良いね。合格率の高いところの方が、おおむねカリキュラムが充実していると思う。僕は大学で、心理カウンセラーの勉強もしたんだよ。君の主治医が詳しいから、今度診察の日にでも相談してみると良い。電話を入れておくよ。僕も目ぼしい資料を探しておこう。」
「ありがとうございます。」
「ネット検索でググれば、情報は山ほど出て来るだろうけど、やはり餅は餅屋だろう。できれば経験者に普段の仕事の話も聞いた方が良いね。向き不向きが分かると思うよ。知り合いで、理学療法士になった人はいないの?」
「いないことも無いんですけど……そいつ、世界で一番大嫌いな奴なんです。」
「おや。世界で一番とは、ずいぶんな嫌われようだね。朔良君が嫌って居る事、相手は知っているの?」
「本人に伝えましたから、知ってます。」
「面と向かって?……それはまた、きついね。」
「昨日、久しぶりに病院で会いました。カメムシを口に入れたような気がしました。」
「……あはは、カメムシって……入れたことあるの?」
「ないです。でも、そのくらい……パニックが出そうになるくらい、生理的に駄目なんです。例えるならカメムシよりゴキブリの方が良いですか?あ、それともゲジゲジとかの方が……」
「ふふっ……朔良君が冗談を言うのを初めて聞いたよ。打ち解けるのに時間はかかるけど、君は本当は明るい子なんだね。」
明るいと言われて、朔良は胸を突かれるように驚いた。
「僕、根暗の引きこもりですよ。明るいなんて、誰にも言われたことないです。」
「ふふっ……根暗な子は、自分で根暗なんですなんて、そんな満面の笑顔で言わないよ。朔良君には迷惑だろうけど、一度でもそんな顔を向けられたら、誰でも誤解して独り占めしたくなるんだろうね。」
「先生……?」
インストラクターは大真面目に頷いて見せた。
「そりゃそうだろう。僕は朔良君の主治医と知り合いだったから、運よく君と会えた。知らないだろう?ゴリラみたいに筋肉ごりごりの奴のマッサージは、そりゃ大変なんだよ。元々僕は柔道をやっていて、柔道整復師の免許も持ってるんだが、時間外に治療に来る後輩連中が皆ごついのごつくないのって……へとへとだよ。こっちの方が筋肉痛になりそうになる。」
「ああ、そう言う事ですか……てっきり……」
「てっきり?」
「……何でもないです。お話するようなことはありません。」
「そう?何でもいいから話してみてよ。僕は朔良君の事、知りたいと思うよ。君に関わった人は、きっとみんな君を好きになる。違うかな?」
「違います。出会った人は、みんな僕を虐める……です。」
「そうかなぁ。僕には朔良くんを虐めているのは、朔良君本人じゃないかと思えるんだけど。」
インストラクター小橋の言葉に、朔良は思わず反論しようとしたが、自分の中に適当な語彙が無くて断念した。
「反論しないの?」
「しません。……面倒ですから。」
「バリアを張られてしまったかな?じゃあ、今日はお終いだ。気を付けて帰るんだよ。」
インストラクターは、それ以上朔良に声を掛けなかった。
車のシートに深く腰を下ろした朔良は、ため息をついた。
「……疲れた。……カメムシのせいだ。」
本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
朔良にとって、色々なことのあった一日でした。
(´・ω・`) 「ちょっと疲れました……」
Σ( ̄口 ̄*)「カ……カメムシ呼ばわり?」
( *`ω´) 「ぷんっ。むしろカメムシに謝れ。」
朔良も、どうやら前を向いて行けそうです。
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