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紅蓮の虹・19 

「四郎は確かに、出会った頃から美しく聡明な子供だった。」・・・とコウゲイが言った。

今は、身体のどこかに触れているだけで、コウゲイの記憶は自在に俺のものになる。

神獣の依代(よりしろ)としてのイレーネは、自分の仕事が無くなったと言って不機嫌だった。

正確には、人の場合は尸童(よりまし) というらしい。

「よりまし」になった人に祈祷をすると、神霊がこれにのりうつって御託宣をするんだそうだ。

「虹はわたしがいなくても、直接コウゲイと飛べるからつまらないわ。」

いつしか、魔法陣がなくても、イレーネが不在でも俺たちは溶け合ってコウゲイになることができた。

「四郎が今の戦場にいるのは、実はわたしにも責任が有るんだ。」

龍神のコウゲイは、その頃気ままに風に乗って、遊泳していたらしい。

池の側でぼんやり佇む綺麗な少年に、ふと惹かれて梢の上から眺めていると見上げた少年と目が合ってしまった。

にっこりと微笑む少年に、声をかけたのはコウゲイの方だった。

「わたしが見えるのか?」

「ええ。あなたは龍神様?」

「おまえの好きに呼べばいい。」




  



「それは、運命の出会いだった。」

と、コウゲイはいったが、ただのナンパな龍神と人間の子供の会話じゃないか。

小さな四郎は、父親の影響で洗礼も受けた、敬虔なキリシタンだった。

「益田フランシスコ四郎時貞」

それが四郎の本当の名前だった。

四郎の父親は、関が原で破れ斬首された小西行長と言うキリシタン大名に仕えていたらしい。

四郎の家族は、主家の没落と共に浪人となり仕方なく百姓をはじめた。

遺臣達は多く、皆貧しかった。

鎖国を推し進める江戸幕府に教えを捨てろと言われて、表向き捨てたものもいたが、密航してきたバテレン(宣教師)から再び洗礼を受けるものも多かった。

観音様の姿に聖母マリアを重ねたり、一見それとはわからないように人々はデウスを信仰した。









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