続・はつこい 如月奏の憂鬱・2
奏は怒りに赤くした頬を向けると、震える唇をきゅっと噛み締めて、言葉を選んだ。
この華奢な美貌の人は、外面如菩薩、内面如夜叉というとんでもない激しさを秘めていた。
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「・・・君は、いつも失敬だ。僕が、どんな目に会うというんです?」
想像通りの答に、湖上颯は噴出しそうになった。
「これは渡欧する前に、モンテスキュウ教授からいただいた君への忠告なんだ。聞いておいたほうがいい。」
「モンテスキュウ教授が?何と?」
「気分を害するかもしれないが、正直言うよ。僕には、武家育ちの妻の聡子よりも公家の君の方が、簡単に手折れる気がする。」
「細君よりも僕を非力と・・・。でしたら、試してみますか?」
腹立ち紛れに颯に向かって行ったら、身動きできないようにあっという間に壁に押さえつけられて、奏は羞恥で顔から火が出そうになった。
「ほら。」
間近に顔を寄せて、耳元に颯はささやいた。
「こうしてしまえば、君はすぐにも、可哀そうな籠の中の金糸雀(カナリア)になってしまう。」
「・・・礼儀を重んじる紳士の国だとお聞きして、英国に行く気になったんですけどね・・・こういう気苦労はごめんです。」
不愉快そうに、腕を振り払った。
杞憂に終われば良いが・・・と颯は直も耳元に唇を寄せて言う。
そうすれば、奏が身じろぎもせず、従順な子犬のように素直に話を聞くと知っている。
私立華桜陰高校に入学したときからの付き合いだった颯は、長い間、奏が自分に心を寄せていると気が付かなかった。
幼子が母の乳房を求めるように欲しても、颯は童子のような純真さで接し、奏の恋心に気づくようなことは無かったのだ。
奏の小姓、白雪がとうとう見かねて、身悶えするほどの思いを代弁しても、決して友人としての関係は崩さないと颯は真正面から語った。
奏がその身に祖父から受けた過酷な運命を、心底哀れと思い、胸の騒ぐ事もあったが真っ直ぐな気性の颯は、結局、奏と友人であるべき道を選んだのだ。
ある意味、颯にとって愛すべき対象ではあったが、奏の求める愛とは道を異にしていた。
颯の思う愛は、年の離れた弟に向けるような、柔らかな慈愛でしかなかった。
奏が、その立場を受け入れた所から、友人としては残酷に大切にされている。
奏は、颯を失いたくなくて、心に封印を科していた。
それは颯が結婚して、伴侶を得ても、何も変わることは無かった。
だが、深く深遠に沈めて決して浮き上がらせないと誓った奏の切ない本心を、颯以外の誰もが知っていた。
一緒に留学しようと誘っておいて、今更、言うのもどうかと思うが・・・と、とうとう颯は口にした。
颯には港に見送りに来たモンテスキュウ教授の言葉が、ずっと気になっていた。
この一見した所、細腰の女性にしか見えない美貌の青年は、困ったことに自分が他人に病的な執着をもたれる対象になると、一つも分かっていなかったのだ。
それを何とか伝えなくてはならない。
「じつはね。・・・言いにくいのですが、西洋には武士の衆道とは趣の違った、ソドミー(男色)というものが有るのです。」
「何ですか?それは、念此(ねんごろ・契りを結ぶこと)のようなものですか?」
言葉では説明しがたいが・・・と、前置きをした上で教授は言った。
「簡単に言えば、精神的なものがあなた方の衆道で、女性の替わりに背徳の愛をはぐくむのが、ソドミーと言えます。」
「古代ギリシアでは元々、少年愛が主流でしたし、美しい少年を求めるものは決して迫害されたりしませんでした。ごく自然に、男を求める男は存在します。」
「決して、あなたの国の衆道のように、男子が成長過程でなぞる道ではないのです。おそらく、如月くんはソドミーにとっては誰もが手に入れたい存在となるでしょう。お気の毒ですが。」
颯は、慄然とし言葉を失くした。
今頃、そのような話を聞かされても、出航は間近に迫っているのだ。
「わたしも、言おうかどうしようか、随分悩んだのですが・・・」
「如月君は、正直言ってそういう手合いには、気の毒なほど・・・酷く魅力的な人物だと思いますよ。東洋人は少年のように成人しても若く見えますし・・・サイズも手ごろです。」
「政府の使いとして行くのですから、おそらく大丈夫だとは思いますが十分気をつけてあげてください。如月君には、西洋は危険な場所です。」
それにもし・・・と言葉は続いた。
恩師は、にっこりと破顔した。
「万が一、そういうことにでもなったら、私の国では禁治産者となって精神病院に入れられるか、もしくは容赦なく牢獄送りです。罪人ともなると、例え如月財閥の総裁といえど、もう日本には、帰国できなくなるかもしれませんねぇ。」
颯の顔色は、今や蒼白に近い。
「外交問題に発展しないように、十分気をつけてあげてください。幸運を。」
本当に、心配しているのかと思わず問いたくなるほど、にこやかに握手を求めてモンテスキュウ教授は去っていった。
いやはや・・・念者の扱いも、国が変わると思想も変わり、随分変わるものらしい・・・・
何とかモンテスキュウ教授のいうソドミーとやらを理解しようと勤めたが、颯の過ごしてきた人生の中で理解できる範疇を越えていた。
颯の知る限り、古来より武家の社会では、兄と呼ばれるものが手取り足取りして、年少の者の面倒を見るのは当然の事だった。
そうして彼らは、戦場での処し方、生きてゆくうえで必要な、社会の仕組みを身につける。
キリスト教の思想が入る明治の代になるまでは、武士道と男色は矛盾するものとはまったく考えられていなかった。
武士の心得を説く書「葉隠」にも男色を行う際においての道を説く一章があるくらいだ。
女色と比べても特に問題がある行為とは見なされず、男色を行う者は別に隠すこともなかった。
時が来れば、普通に妻を娶り、問題なく種は脈々と受け継がれてゆく。
むしろ「主従関係」の価値観と自然に対となるもので、精神的な結びつきを奨励し、決して肉欲に走るものではない・・・と言うのが大切な大前提だった。
当然の「仕組み」のようなものだと思っていたから、教授の置き土産は、余りにも難解極まりなかった。
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武士道の衆道と、男色のソドミー(モンテスキュウ教授はフランス人です)では、いろいろ意味合いが違います。
(*⌒∇⌒*) 適当かも~♪
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