続・はつこい 如月奏の憂鬱・14
その手を取れなかった白雪は、滂沱の涙にくれた。
止まらない嗚咽を、押し殺して噛みしめた。
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結局、奏の望みは当然のように叶わなかった。
数日後、村の役人が引き取りに来て長い説明をした。
赤子は英国の法律通り、乳児院に送られるか、里親に預けるかのどちらかになるだろうと言うことだった。
どう考えても、独身で、しかも小さな島国から来た留学生の身分では、養子縁組など認められるはずもない。
国許でどのように成功していても、まだ日本は世界に遲れを取る小さな島国でしかなく、奏は青ざめて、希望を打ち砕く役人の話を聞いた。
望みが儚く潰え、深い悲嘆にくれた奏は、例によって表面に悲しみを滲ませる事は無い。
引き取りに来た代理の教授夫人に、あっさりと懐に抱く大切な赤子を渡した。
「ああぁ・・・んっ・・・」
引き離された赤子が、奏を求めて呼んだ。
この子は、どうしたものか奏の手を離れると酷くむずかって泣く。
教授夫人が、微笑みながら試しにもう一度奏に預けてみると、泣き止んで機嫌よくしている。
「まあ・・・、この子はあなたのことが、すごく好きなのね。」
「・・・そのようです。」
「お利口さんなのね。」
「ええ、この子はとても賢い赤ん坊です。」
周囲にいるものは、こぞって笑をかみ殺した。
まだ賢いかどうかなど、わかったものではない。
赤子は、やっと寝返りを打ちかけたくらいなのだ。
「名前は、何とつけたのかしら?」
「・・・名前は・・・まだ、ありません。」
搾り出すように答えた奏の黒曜石の瞳に、哀しみが宿る。
「まあ、なぜ?」
横合いから、白雪が代わって答えた。
「奥様。名前で呼べば、この先別れがたくなるからです。」
「何を言っているの。あなたが見つけた、子供なのよ。あなたが名付け親にならなければいけないわ。」
それは、もっともな申し出だった。
村役人も頷いた。
「名付け親」への任命は、まるで奮闘した主従へ下された褒美のようだ。
実は、奏は数日前まで育児と勉学との両立が叶わず、大方の予想通り疲労困憊のあげく臥せっていた。
熱に潤んだ瞳で、自分の不甲斐無さに腹を立てながら、子供の面倒を白雪に指図していたのだが・・・その白雪の姿を見て、颯は爆笑したのだ。
その時白雪は、自分の幼い弟妹とのままごと遊びの時のように赤子を背中にくくりつけて、長屋の住人のようだった。
洗濯ロープに何枚ものむつきを通す姿に、あの初々しい娘はいったいどこの細君だい?と颯や他の学生にさんざんに笑われた。
「なんとでも、おっしゃってください。僕はもう諦めました。」
その白雪が驚くほど、奏は赤子に献身的だった。
国許の白菊に聞かせたら、おそらく真っ青になるだろう。
何しろ奏はその手で、ぎこちなくむつき(おしめ)さえ、取り替えたのだから・・・。
赤子が足をばたつかせれば、すぐに脱げてしまうほどゆったりと巻きつけてあるのに気づき、白雪は感動を覚えながら默って直した。
公家華族の奏の過去を知らない者は、日常の些細な出来事に、奏がどれほどの苦労をしているか想像もつかないだろう。
奏は少なくとも、颯に出会うまで洋服さえ一人でまともに着たことがなかった。
シャツのボタンをはめたり、リボンタイを結ぶのを覚えたのも、颯と知り合った高校生活からだった。
教授夫人は夫にねだり、東洋から来た留学生の話を聞いていたらしい。
天涯孤独の美貌の青年は、この地でもどうやらご婦人たちの噂の的らしい。
いつの時代も、ご婦人方は綺麗な若者を、好ましく眺める。
「考えてみて。遠く離れた地に、家族がいるなんて素適なことよ。」
奏は、「家族」という言葉に目をみはった。
ほんの少し身じろぎ、身を乗り出そうとしたのを堪えた。
「わたくしはね、あなたの名前の頭文字を入れるべきだと思うわ。当然の権利よ。」
一瞬、奏の目もとが赤くなったのは、灯りのせいだろうか。
「僕が、そんなことをしても、良いんでしょうか・・・?」
「もしかすると、あの子は大きくなって、異国人に付けられた名前など嫌だと泣くかもしれません。もし、そんなことになったら、僕はあの子にどう詫びればいいか、語る言葉を持ちません・・・。」
こんな弱気な如月奏を見たものは、皆、初めてだった。
教授夫人は、奏を励ました。
「あなたの頭文字、kで始めるのよ。そうね、どんな名前が良いかしら・・・」
教授夫人は、いくつかの候補の名前を、紙に書き付けて奏に渡そうとした。
泣きそうな頼りない笑を向けると、奏は打ち明けた。
「実は・・・ひとつだけ・・・密かにつけた名前が有ります。誰にも、言ったことはありません。」
「なんていうのかしら。」
奏は婦人の羽ペンを借りると、そこに小さく書き付けた。
「初めと終わりに、僕の名前の綴りが入っています。」
Katie ケイティ
それが、如月奏の愛する娘の名前だった。
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何とか、間に合いました。・・・きびしかった・・・|ω・`)
前作「はつこい」をお読みになってくださった方へ。
たくさんの拍手ありがとうございました。
移しただけで、ちゃんと推敲、加筆できていないので申し訳ないです。
めっちゃうれしかったです~!(*⌒∇⌒*)♪
(´・ω・`) 白雪:「あの・・・だいじょうぶですか、奏さま。」
(´・ω・`) 奏:「平気だ、白雪。いつかこの日が来るのは、わかっていたのだから。」
(*⌒▽⌒*) 赤ちゃん:「きゃっ!」
(´/ω;`) 奏:「・・・ひくっ・・・」
別れは、どうなるかな~・・・
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