続・はつこい 如月奏の憂鬱・11
「如月!返事をしたまえ!」
虚しい時間は、颯も長く感じた・・・。
*****************************
一方、周囲の心配を余所に、奏は何とか無事だった。
湿地に転がり落ちてそのまま気を失っていた奏は、明け方の冷え込みにやっと気が付き、英国の経験のない無い寒さに震えていた。
「う・・・・。」
歯の根が合わず、みっともなく顎がカチカチと音を立てた。
粉雪の散った草の上で、転がっている自分の格好は余りに酷いのだろう・・・と思う。
少し明るくなってきた辺りは、ほとんどが雪景色でかじかんだ身体を温めるようなものは、何一つなかった。
上着や外套は馬車の中に置いてきたし、辛うじて引っ掛けたシャツはボタンが飛びはだけたままだった。
しかも転んだせいで、膝小憎はすりむき、シャツの袖口のカフスもなくなり、かぎ裂きのせいでもう使い物にはならないだろう。
洋袴も裂けていた。
辺りを見渡したが、靴も見当たらなかった。
どこもかしこも冷え切っていた。
全身が凍えきって、もうすべてどうでもいいと投げやりになりそうになる。
このままここにいたら、十中八九凍死することになるだろう・・・
薄れかけた意識の底で、とうの昔に亡くなった父の優しい声を聞いた。
「父・・・うえ・・・?」
・・・夕べ聞いた、赤ん坊の泣き声がする・・・
何故・・・赤ん坊・・・?
視界にふわふわとした、たんぽぽの綿毛が揺れた。
「え・・?」
「んま。」
「つっ!」
奏の胸に、予期せぬ激痛が走った。
そのせいで、ぼやけた意識が一気に鮮明になる。
「・・・な・・・に・・・?」
赤ん坊が、何もない奏の薄い胸に喰らい付いていた。
腹をすかせた赤ん坊は、無心に乳を吸う。
「え・・・?なに・・・?」
黒い洋袴は泥水で冷え切って、立ち上がろうとした奏の邪魔をした。
身体中を、初めて知る筋肉痛が覆っていた。
肌から何とか引き離すと、異国人の小さな赤ん坊が全身で泣いた。
「ああ~ん・・・」
「ああ~ん・・・」
「いくら僕が細腰でも、乳はでないぞ。」
結局、温もりを求めていたのだろうか。
そっと胸に引き寄せると泣くのをやめて、ずっと指をしゃぶってじっと顔を見つめている。
赤子の体温が、奏の手放しかけた生を思い出させるかのように温もりを与えた。
「・・・何とか道へ上がるか。」
蜂蜜色の赤ん坊は、一方の手でしっかりと奏の破れたシャツを握りしめ、抱かれていた。
何故、こんなところに赤ん坊がいるのかわからなかったが、おそらく捨て子か何かだろうかと思った。
馬のいななきに、ふと我に返り頭上を見上げた。
高い馬上から父と同じ声がした。
「いつ、母親になったんだ、如月。」
見た目は酷かったが、とりあえず無事な姿に颯は安堵している。
「今しがたです・・・。」
「急ぎ帰ろう。白雪が待っている。」
颯の持参した暖かい外套にくるまると、やっと人心地がついた。
ぽんと口の中に放り込まれた角砂糖の甘さに、手放さなかった命を実感した。
****************************
寄宿舎の門の前で、白雪はずっと待っていた。
すぐに使えるように、バスタブに湯を張り、冷めては継ぎ足しに行き、また門前に戻って主人の帰りを従順な猟犬のように待っていた。
颯の馬が遠くに見えたとき、大きな湯桶を持ったまま走り出そうとして、遠目に判るほど見事に転んだ。
「何をやってるんだ。白雪。」
見上げた馬上に無事な主人の姿を認め、白雪は感涙に咽ぶはずだったが・・・。
「奏さまっ!ご無事で・・・?」
「よろしく頼む。」
「えーーーーっ!?なんです、これ・・・!」
荷物のように包みを受け取ったものの、中で眠る一歳にも満たないような赤子に、さすがの白雪も途方にくれた。
白雪の自慢の主人は、行方不明の間に捨て子を拾ったらしい。
「え・・え・・・?なんです?赤ん坊?」
「湯を、使う。」
白雪の狼狽ぶりに、奏は顔色も変えず一言だけ告げた。
「あ、はいっ!すぐに、ご使用になれます。」
奏は、ほとんど布切れになってしまった、シャツと洋袴をその場に脱ぎ捨てて、浅い湯船に浸かった。
こんなときは、肩まで浸かれる故国の深い桧の風呂が懐かしくなる。
「申し訳ございません、奏さま。この子もご一緒してもよろしいですか?」
「この子も、冷え切っているようです。」
馬丁に貰った甘い牛の乳を匙で掬って飲ませた後、白雪は幼い弟妹の世話をするように慣れた手つきで、泣いている裸の赤ん坊を連れて来た。
「おいで。」
奏はぎこちなく受け取って、子供を湯の中に抱きいれた。
奏の懐で、見上げた子供はきゃっと声を上げた。
やがて、とろとろとぬるい湯にまどろんだ子供は、安心しきったかのように、やっと人心地のついた奏の胸の中で寝息を立て始めた。
「眠ってしまった・・・。」
柔らかい、乳の匂いのする幼子を抱いていると、なぜか胸の奥が凪いだ。
自分に対する、恥知らずな無頼漢たちの仕打ちもどうでもいいような優しい気持ちになる。
説明のつかない不思議な感覚が、奏の中に生まれていた。
「白雪・・・。」
「どうやら、眠ってしまったようだ。」
「お預かりします。」
パイルという厚い布に包まれて、身体が温まったせいか赤ん坊は寝息を立てていた。
脱衣籠に座布団を敷いて、白雪は赤ん坊の寝台を作った。
「奏さま。着替えの前に、膏薬をお塗りしましょう。」
「怪我は、していない。」
「でも・・・胸に・・・」
「ああ、これか。」
珍しく奏は、ふふっと声を立てて笑った。
「腹を空かせた子供に、乳をやったんだ。」
腹のすいた赤ん坊が、乳房を求めて力の限り吸った痣は紅色の痕になっていた。
*********************************
使用いたしました写真は詩腐徒交遊記のかやさんのフリー写真です。
版権は上記に属します。
。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。白雪:「わ~ん。ご無事でよかった~、奏さま~。」
ヾ(。`Д´。)ノ彡☆奏:「白雪。泣いてないで、さっさと食事にしてくれないか!」
(ノд-。)白雪:「なんですか、散々心配かけておいてその態度・・・。」
(´・ω・`)奏:「・・・だって、うさぎのシチュウ食べたきり、何も食べてないんだもの。」
(ノд-。)白雪:「蜂蜜と黒パン、温かい紅茶でよろしいですか?」
(*⌒∇⌒*)♪奏:「うんっ。一番に白雪の淹れた紅茶が飲みたかったんだ。」
(〃▽〃)白雪:「奏さまったら、もう~・・・」
拍手もポチもありがとうございます。
ランキングに参加していますので、よろしくお願いします。
- 関連記事
-
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・18【最終話】 (2011/01/29)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・17 (2011/01/27)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・16 (2011/01/26)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・15 (2011/01/25)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・14 (2011/01/24)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・13 (2011/01/23)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・12 (2011/01/22)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・11 (2011/01/21)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・10 (2011/01/20)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・9 (2011/01/19)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・8 (2011/01/18)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・7 (2011/01/17)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・6 (2011/01/16)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・5 (2011/01/15)
- 続・はつこい 如月奏の憂鬱・4 (2011/01/14)
- 如月奏の物語(明治) >
- 如月奏の憂鬱
- 8
- 0