続・はつこい 如月奏の憂鬱・7
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「とにかく、気に入らないことがあっても、極力諍いは控えることだよ。どこの国の学生も、皆、騒ぎが好きみたいだからね。」
「仕方がないじゃありませんか。僕は勉学の差しさわりになるような輩と、親しくなるつもりはありません。」
「如月・・・。その潔癖さが命取りにならなければいいと、僕は心配なんだ。この国では、互いを知ることに時間を惜しまぬらしいよ。」
奏は、あけすけにため息をついた。
他の留学生達が休み度に英国で出来た友人と、自動車を見に行ったり湖畔にボートを浮かべて水遊びをしたりして、十分楽しんでいるのを知っていたが同じ目で見てほしくはなかった。
「・・・大勢と過ごすのは、苦手だと言っているのに。どうして皆、僕に関わろうとするのだろう・・・」
奏は、心底うんざりとした風に呟いた。
颯を見送った後、奏は鏡に向かってぼんやりとしていた。
誰に問うでもなく、一人ごちる。
「・・・いっそ、この顔に与三郎のように傷でも付けたら、誰も寄ってこなくなるのだろうか・・・」
すぐ側に、手鏡があり髭をあたる為の剃刀が置いてあった。
「見えない所にばかり傷をつけないで、お爺様ももっと目立つ所に付けてくれれば良かったのに・・・。うっとおしい・・・。」
きら…と刃物が煌めいた。
「あっ!奏さまっ!何をなさるんですっ!おやめくださいっ!」
白雪が剃刀を取り上げて、どうしてこんなことを・・・と、泣いた。
泣きたいのは、奏の方だった・・・・。
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そして、待ちかねた週末。
奏は教授の計らいで、現役の銀行家と話をすることが出来た。
教授から話を聞き、日本から来た不思議な留学生に興味を持ってくれたらしい。
奏は、教授が銀行家に紹介した通りの、優秀な生徒だった。
難解な専門用語と格闘しながら、辞書を片手に必死で質問し、金融について学ぶ姿勢を好ましく思った銀行家は知っている知識を、丁寧に長時間講義してくれた。
銀行の仕組みは勿論のこと、株式にまつわる話、奏が何とかしたかった華族公禄の運用法、有価証券など学ぶことは多い。
この後も株式について教えてもらう約束を取り付け、これでやっと目処がついたと明るい顔をする奏は、銀行家に向かって故国で「鹿鳴館の華」と言われた光彩の微笑を浮かべ、白雪を慌てさせた。
「奏さま・・ったら、もうっ!」
「白雪。礼儀を知らない野蛮な国から来たと思われたいのか?」
気疲れで目が回りそうな白雪に、奏は不思議そうな目を向けた。
実際、奏が実業家として成功した一因は、持って生まれた「人たらし」の素質もあると白雪は思う。
「そんな笑顔を向けて、誤解されたって知りませんからね。英吉利まできて、今以上の色恋の尻拭いはごめんですよ。」
誰もが夢中になる類希なる容姿と、明晰な頭脳に加えて、社交場においての相手の自尊心を心地よくくすぐる奏の振る舞いは本能のように完璧だった。
しかも決して演技などではなく、奏自身の本心からの言葉と行動に見える。
深く関わろうとしない限り、如月奏は紳士の国でも通用する読心に長けた一面を持っていた。
繊細な日本食に比べたら、白雪には料理ともいえないようなごった煮を、誰もを魅了する、柔らかな笑みを浮かべ綺麗に平らげ・・・(ウサギのシチュウというらしい・・・)
「ぼくには国許に帰っても家族がいません。思いがけず、とても幸せな温かい家庭の時間を頂きました。」
と極上の笑顔で言ってのける。
「このまま寮に帰らずに、お二人の側に居られたならどんなにか・・・。」
と、寂しげに吐いた言葉が、招いてくれた教授と婦人を感激させていることに奏は気付かない。
しかも、口に合わず食べ残した固いパンまで、できるなら持って帰りたいですと言って、繊細な手織りレースのハンケチを膝に広げた。
そして大切な宝物を押し抱くようにして幾冊かの蔵書を借り、二人は教授の自宅を後にした。
「いつでも、お好きなときにいらしてね。愛らしい奏。」
「ありがとうございます、奥様。」
「あなたは、本物の王子のようにマナーも完璧だったわ。」
「そうおっしゃっていただけると、僕も付け焼刃で頑張った甲斐があったというものです。」
「今日の出会いを、心から感謝いたします。」
まるで、女王陛下との別れの儀式をするように、奏は婦人の手の甲に軽く三度の口付けをし、結局感極まった婦人は奏を強く抱擁した。
頬に薄く紅が付いた。
帰りの馬車の中、懐の懐紙で、口許を何度も強くぬぐっているのを白雪は見逃さなかった。
おそらく、奏には、ご婦人の白粉と香水の匂いがたまらなかったのだと思う。
白雪の口元が、思わず綻んだ。
「何だ?」
「何でも有りません。ちょっと思っただけです。」
「奏さまの真実は、一体どこにあるんでしょうね・・・って。」
「僕の真実?」
「だって、あのまま、教授の家に居たかったんでしょう?」
瞳に不思議そうな光が宿る。
その問いの意味がわからないという顔だ。
「それは、そうだろう・・・?ぼくは、何かおかしい事を言ったのか?」
「せっかく習った株式の話を移動するうち忘れぬように、今すぐ筆記しておきたいと思ったからそう言ったのだけど・・・。白雪は、時々妙なことを言う。」
結局、白雪の想像以上に、この美しい主は無垢すぎるという話だった。
彎曲された自分のすれた感情では、この先もずっと主人を理解できないかもしれないと、白雪はほんの少し弱気になった。
たぶん奏の真っ直ぐな飾らない本音は、余りにも意外すぎて、普通の人間の胸には響かないのだ。
共にこの地へ渡った湖上颯には、なぜか理解できているというのに。
二人の生まれ育ちが影響しているのだろうか。
奏の使う単純な言葉の裏を読み、無い底を知ろうと空回りする人間ばかりが周囲に集まる気がする。
白雪は自分が側に仕えるようになった日から、何も変わらない奏の本質を思い起こして、自分自身に軽く失望した。
白雪は、初めて奏の元へ挨拶に行った日のことを、昨日のことのように鮮明に覚えている。
大切な小間使いを祖父の暴力で理不尽に失って、泣き暮らしていた奏は白雪がお側にいたいと望んだとき、やっと涙をふいて笑ったのだ。
父に乞われて仕方なく、いやいや側に行った白雪は、涙を溜めた目で笑った可愛らしい主人に一目で魅了されてしまった。
「ほんとう・・・?これからずっと、ぼくの側にいるの?」
「うれしいなあ・・・ずうっと一緒にいてね、白雪。ずうっと、どこまでも一緒ね。げんまんね。」
肯いたあの日から本当に、奏は白雪を手放さなかった。
一度も交わした約束を違える事無く。
恐ろしい祖父が呼ぶ背徳の闇の閨房の中にすら、奏は白雪を傍らに伴ったのだった。
忌まわしい事後の肌さえ、白雪がぬぐった。
「・・・あっっ!」
「奏さまーーっ!」
馬車が、突然傾いて止まった。
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(´・ω・`)奏:「あのシチュウとやら、本当はまずかった・・・白雪。後で、ちょっとおなか痛くなった。」
ヾ(。`Д´。)ノ白雪:「もう~!だったら無理して平らげることないんですよっ!奏さま~。」
どうなりますやら・・・
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