続・はつこい 如月奏の憂鬱・9
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雪雲は厚く、陽を遮っていて馬車の中は薄暗かった。
マグノリアの花のように、発光する白い花明りとなって奏は赤毛の男を誘った。
「馬車の椅子は固くて・・・できれば、ここに・・・あなたのその暖かい外套を、敷いていただければ嬉しいのだけれど。」
ウイリアムと呼ばれた男は、外套を敷いた上でしどけない姿の奏と自分が、何をするか考えただけで猛々しい思いにとらわれていた。
すぐに袖を抜くと、そそくさと外套を広げ奏を見つめたまま、衣服を緩めてゆく。
赤ら顔が上気して、まるで退治されるのを待っている赤鬼のようだと奏は思った。
気ぜわしくシャツが引き出され、前立てが開けられてゆく。
これから起きる出来事を、どこか人事のように奏は想像し柔和な笑みを浮かべた。
「そんな、恐ろしい顔を向けては嫌です。ぼくは、湖沼に住むうさぎのように怖がりで・・・迷子の小鳥のように臆病なんですから。」
「大丈夫だ。優しくすると誓うから。」
「そう・・・?誓ってください、ウイリー・・・」
愛称を呼ばれて男は体中の血液が逆流するのと感じた。
「奏っ・・・!」
「あわてないで。逃げたりしませんから・・・」
さりげなく、かけられた腕を外し、体を入れ替えたのさえ気が付かず、学友は奏の魔力に下っていた。
歓喜に打ち震え、嬉々としてその優しげな小さな顔に触れようとして両手が上がったとき、隙ができたのを奏は見逃さなかった。
奏の足がしなって、男の鳩尾に膝が食い込んだ。
ぐふ・・っと、胃の内容物を床に吐き散らして、油断した男は白目を剥いた。
腹を押さえ、どっと床に倒れこむのを、奏は顔色も変えず避けた。
おそらく外で待つ人間にも、馬車が揺れたのが分かったのだろう。
「ウィリアム、どうした。手こずっているのか。」
外から見張りの声がする。
「少しばかりね。」
ハンケチを口に当て、低い声で答えた。
「まだ、終わってない。」
「早くしろ。一度やって気がすんだら、場所を変えたほうがいい。」
「さすがに、ここに借り馬車が残っているのはまずいからな。」
忌々しい会話を聞いても、奏の怜悧な横顔が歪むことはなかった。
顔色も変えず、胸の辺りに靴の踵を思い切り叩き込んだら、骨の軋む音がした。
気を失った大男が、呻きとともに口角から血の混じった白い泡を吹く。
ガタガタと馬車が揺れる。
「おい!ほどほどにしないと、華奢な小猿が壊れてしまうぞ。」
「そんなに、いいのか。」
「好きものだなぁ、ウイリアム。」
下卑た笑い声と共に、そんな声が聞こえた。
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『三十六計、逃げるに如かず。』
これは颯の台詞。
上着は諦めて、そっと反対側の扉を内側から開け、奏は馬車陰に紛れ外へと逃げ出した。
外の見張りが物音に気づき、カンテラ(明かり)が向けられる。
一瞬照らされて、奏の姿が夜目に浮かんだはずだが、構っている暇はなかった。
「なっ!ウイリアム!どうしたんだ!」
「あいつを逃がしたのか?」
背後で、状況を理解できない無頼漢達がわめいていた。
不埒者が唖然としながら、仲間を介抱している間に、少しでも遠くへ逃げなければ。
付いてくる月だけを共にして、ひたすら奏は走った。
こんな風に、奏が生身で駆けたのは、生涯で初めてだったかもしれなかった。
疲労で足がもつれる経験は初めてだった。
馬車の轍(わだち)の残るぬかるんだ田舎の馬車道を、何度か足を取られて転びながら走る。
今は気を失った白雪よりも、逃げた自分の方に意識が向いているはずだと思うから、白雪のためにも捕まるわけには行かなかった。
そう思いながらもおそらく背後から追いつくはずの、馬車の気配に知らずに怯えていたのかもしれない。
落ち着いてはいたが、奏の心臓は早鐘のように打っていた。
月明かりがあるせいで、ぼんやりと辛うじて道の輪郭がわかる。
「あっ・・・!」
道端の草に足をとられて、奏はもんどりうって坂を転がり落ちた。
雪のたまった枯草の上で、足を取られ滑り落ちた。
土手の下には、小川か湿地が有ったらしい。
したたかにあちこちを打ったうえに、腰まで水に浸かって奏は立ち上がる気力を失っていた。
「あぁ・・・なんてざまだ・・・」
どこかで不自然に、子供の泣き声がする・・・
見上げた漆黒の闇に、意識が飲まれてゆく・・・
白雪は大丈夫だろうか。
何とか注意を引くことはできたけれど、馬車の中に残してきた教授の大切な本が何ともなければいいのだけれど・・・
『中々、頑張ったじゃないか、如月。』
夢うつつの中で、颯が初めて褒めてくれた。
「もう・・・疲れました・・・。」
珍しく泣き言を言う奏に向かって、颯が笑いかけてくれた気がする・・・
腕を伸ばしかけて、そこに颯がいるはずのないのに気が付く。
今日はグラスゴーに見聞に出かけているはずだった。
ふと、涙ぐみそうになった。
「・・・颯・・・」
吹き寄せた真白い雪の溜りの中に、奏のシルエットが沈んだ。
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冷え切った奏と白雪は救出されるでしょうか。
雪は湿気て、深いのです。
使用いたしました写真は詩腐徒交遊記のかやさんのフリー写真です。
煌く素敵詩と写真のサイトです。創作の萌えを刺激されます。
雪の中出向いて、わざわざ写真を撮って来て下さいました。
馬車のわだちが残るほどの、雪の量です。
イメージどおりのお写真、お借りいたします。ありがとうございました。
脱げた靴で、バナーも作りました~ (〃∇〃)
(*⌒▽⌒*) ♪奏:「護身術って意外に使えるものだね、白雪。」
ヾ(。`Д´。)ノ白雪:「もう~!ぼく、いまだに冷たい雪の中に、置いてけぼり~!」
この先、たぶんちょっと意外な展開のはずです。
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