淡雪の如く 1
江戸から続く大庄屋の嫡男で、目もとも涼しい彼の名は佐藤良太郎という。
難関試験を突破し、晴れて私立華桜陰高校の門をくぐることになった。
西洋風の豪奢な三階建ての校舎を眺め、高揚感に気圧されながら、見事な桜並木の下で、感慨深く一人静かに花片の舞う中佇んでいた。
「すごいな…。」
良太郎は、感動していた。
華桜陰高校の新入生は大抵が、まず城のような学舎に胸が震えるほど感激し、圧倒される。
広大な敷地には、畑や馬場もあり、貴族階級のものは馬ていを連れて愛馬を厩舎に連れて来る者も少なくない。
はらはらと、祝福のように良太郎の肩に花弁が舞い降りる。
春先の淡雪のように、泡沫(うたかた)の美しい光景だった。
「ここで風に吹かれていても仕方がない。行くか……。気の合う奴が同室ならいいんだけどな。」
身軽に風呂敷包みを一つ持ち、送った荷物も柳行李一つだけだった。
徒歩で寮へ向かう良太郎の脇を、何台もの馬車や人力車が通り過ぎてゆく。
*****
荷ほどきよりも先に入寮の挨拶に寮長を訪ねたところ、いきなり待ちかねた多くの上級生の下問に晒された。何年も浪人したものも居るのだろうか。彼らは良太郎の目にずいぶん大人に見えた。
「今日から、お世話になります。佐藤良太郎です。」
「挨拶は、君が一番乗りですよ。爽やかな良太郎君。出身は県内ですか?」
真っ直ぐに視線を受け止めて、殊勝にはいと頷いた。
「県北の桑並村出身です。」
「寮生一同、お待ちしていましたよ。佐藤良太郎君。さて今後の為に、少しばかり質問したいのですが、よろしいですか?」
「はい。」
寮長は、新入生の入寮名簿を広げた。
「佐藤良太郎君。……君の家は、男爵だそうだけれど、華桜陰に入学の理由は?」
「先祖代々、佐藤家は庄屋の家柄で、父の後を継ぐのは嫡男として当然だと周囲は言います。しかし実の所、米を作るだけなら小作人がいれば済みます。自分に何ができるか考えるために、この学校に来ました。」
「ほう……。中々語りますね。土地持ちの分限者なら華族でなくとも、遊んで暮らせるでしょうに。」
「爵位は父の物で、僕のものではありません。それに佐藤家では家長が率先して働くように家訓で決まっています。新しい自由な世になったのですから、試したいことが多くあります。進学の理由を問われるなら、国許の皆を豊かにするために。」
悪びれないで、凛とした目を真っ直ぐに質問者に向けて、良太郎はにこにこと笑顔で答えた。
「後は学生の間に、一生ものの友人が出来ればいいと思っています。」
「お日さまのような、佐藤君。君ならできるでしょうよ。共に良き学生生活を、送りましょう。判らない事が有ったら、遠慮なく聞いてくれたまえ。」
「はい!」
くす…と雅な顔の上級生が、悩ましげな視線を寄越す。上質の女性ものの絵羽織を緩く羽織って、学生というよりもどこか役者のような風情だ。
「……ついでに恋人も、いかがですか?単調な寮生活が華やぎますし…。もっとも、ここは男子校ですけど、経験したその日から世界が変わりますよ?」
からかった上級生に向かって、佐藤良太郎は意識して背筋を伸ばし、朗々と声を張った。
「自分には、国元に許婚がいますので、決して不実なことは致しません。噂に聞いたことが有りますが、男色の御斡旋は、僕にはご無用に願います。」
きゅと、寮長の片眉が上がった。どうやら、この若駒には冗談は通じないらしい。
しかも力づくなら?と向けると無垢の笑顔で悪びれることなく、極めて明るく答えた。
「田舎道場なれど、北辰一刀流免許皆伝。柔術もたしなみます。腕にはいささか覚えがありますので、不埒者は、先輩といえども手加減いたしません。正々堂々、武道場でお手合わせ致します。」
「色気の無いことだ。折角の美丈夫が、つまらないことだね。」
見えない火花が、ばちと一瞬散って双方作り笑顔で引き下がった。
続き部屋で会話を聞いて居たものが、新入生の堅物加減にため息を吐く。
「若駒ならぬ、あれは子供の猪だな。先輩に一歩も引かないで対峙するとは、ずいぶん気性の荒そうなうり坊だよ。」
「幼いだけでしょうよ、あれは接吻すら済ませていない処女の物言いと見た。」
「処女とは言い得て妙だねぇ…。面白い児が入ってきたね、この先、退屈しないですみそうだ。」
「甘く切ない恋をさせたいね。」
「いっそ、数に物を言わせて、押し倒してみるか。」
「免許皆伝だそうだよ。いっそ闇討ちにする?」
「初物と引き換えに、顔に傷を作るのは、嫌ですよ。高みの見物は、楽しそうだけれど、あの手の竹刀だこを見たらちょっと遠慮したいな。」
その後の上級生のあけすけな会話を、幸いなことに退出した良太郎は知らない。
武家でなくとも、名字帯刀を許された由緒ある出自で有ったが、佐藤良太郎にとってはこんな風に、家柄の重みなどは緩い枷にもならなかった。
豪放磊落、自由闊達、国許でも伸び伸びと田畑へも出て、小作人と共に農作業に汗を流して過ごしてきた。
無論、惣領としていずれは立派に家を継ぐ自覚もある。家長が健在の間、束の間の自由を求めての学生暮らしだった。
数時間後、まっすぐな佐藤良太郎は私立華桜陰(かおういん)高校で、運命の出会いをすることになる。
自分でもにわかに信じられない恋の兆しもまだ知らず、若駒のような佐藤良太郎はあくまでも凛と爽やかだった。
再開しました。一話目です。
かぶっている箇所もありますが、タイトルも変更しました。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
- 関連記事
-
- 淡雪の如く 14 (2011/11/17)
- 淡雪の如く 13 (2011/11/16)
- 淡雪の如く 12 (2011/11/15)
- 淡雪の如く 11 (2011/11/14)
- 淡雪の如く 10 (2011/11/13)
- 淡雪の如く 9 (2011/11/12)
- 淡雪の如く 8 (2011/11/11)
- 淡雪の如く 7 (2011/11/10)
- 淡雪の如く 6 (2011/11/09)
- 淡雪の如く 5 (2011/11/08)
- 淡雪の如く 4 (2011/11/07)
- 淡雪の如く 3 (2011/11/06)
- 淡雪の如く 2 (2011/11/06)
- 淡雪の如く 1 (2011/11/05)
- 淡雪の如く 【作品概要】 (2011/11/05)