淡雪の如く 5
「佐藤さま。こちらでございます。右奥が若さまの寝室です。」
続き部屋に運び込み、寝台の上で余裕の無い靴を、思い切って引き剥がすように脱がせば、痛々しい傷を作った足が出てきた。
ひどい靴擦れは、元々皮膚が薄いせいだろう、小指の付け根からくるぶしまで出来た水疱が既に潰れて赤くなり、じくじくとしていた。きつい靴を履いていたせいだろう、浮腫みもある。
「ああ……、これは酷い。肉刺(まめ)がいくつも出来て潰れてしまったのだな。これは校医に見せたほうがいいな。痛かっただろう。」
「…医者はいらない。傷は…いつも詩音が直す……。」
「化膿止めの入った傷薬をもらった方がいい。このままにしておくと膿んで熱が出るぞ。明日は入学式なのだから手当はきちんとした方が良い。」
額に脂汗を浮かせているところを見ると、ひどく痛むだろうに、能面のように感情を浮かべずじっとしている。その顔は小さく、風鎮などに使う雪花石膏を削ったようにくっきりとした目鼻立ちだった。
入寮して初日に「如菩薩」(気高く柔和の意味)という二つ名が付いただけのことはある。
「あの……佐藤さま。若さまは、大久保是道(おおくぼこれみち)さまとおっしゃいます。御父上は政府要人の大久保侯爵さまです。」と、誇らしげに白鶴が紹介した。
「そうか、奇遇だね。僕の家は、その大久保県令(今の県知事)の別宅のある桑並村なんだよ。」
「まあ、そうでしたか。」
横目で見る限り母親似だろうか、新聞で見たことのある県令には似ていないような気がする。腕のいい人形師の作った雛の頭のように、糸引き眉の整った顔を伏せていた。
白いうりざね顔には、公家のする雅な化粧、鉄漿、置き眉が似合いそうだ。
従者の、内藤詩音(ないとうしおん)も姿によく合った名前で良太郎は思わず口にした。
「君も、麗々しい名前のとおりの姿だな。」
「何がでしょう?」
「上級生が、話をしていたよ、君のあざなは白鶴だそうだ。」
「……存じております。」
不愉快になったのだろうか、そう言ったきり詩音は主の方を向いた。
校医のところへ出向き薬を貰ってまいりますと告げた。
「では、若さま、詩音は少しの間席を外しますけど、お一人で大丈夫ですか?」
「喉が渇いているなら、白湯などを所望してまいります。何かお菓子でもお召し上がりになりますか?」
「お一人」といわれ、良太郎は軽くむっとした表情を浮かべて、立ち上がった。
どうやらこの上品な御仁たちとは、温かな友情など結べそうにない。傍にいるのにいないかのようにふるまわれ、良太郎はいささか腹を立てていた。
「用は済んだようだから、僕はこれで失礼する。」
「あっ……」
立ち上がったその袖口を、大久保是道がきゅと掴んだ。
「……何だ?まだ何かあるのか?」
「詩音が帰るまで、君はここに……。」
「ここに……?」
恐らく心細いのだろう。じっと見つめる黒々とした眸が、物言いたげに揺れる。
自分でも、多少意地悪だと思いながら先を聞いた。
「…居よ。」
「はぁ……?居よ…って。僕は、君の家臣でも下僕でもないぞ。」
大久保是道の言葉に、良太郎は軽く呆れた。
わざと盛大なため息を吐き、自分は従者ではないからそんな義務はない、と冷たく言い放った。
「君は国許では若さまかも知れないけれど、ここではその道理は通じないと思ったほうがいい。華桜陰高校では、身分は関係なく学べるはずだし、、少なくとも僕はそのつもりだ。」
「僕のうまれた家では、誰かに側にいて欲しい時は、「居てください」と頼むんだ。おそらく、君のご実家のように上品な家ではないだろうけど、物を頼むならそれらしく言いたまえ。失敬する。」
告げた言葉に異を返すでもなく、ぽかんと呆けたように目を瞠った美少年を残し、良太郎は室外へと退出した。
「なんだ……あの如菩薩は?綺麗なだけの知恵足らずなのか……?華桜陰の試験は難しかったはずだがな……。」
おそらく生まれて初めて部屋に一人っきりで残された大久保是道(おおくぼこれみち)に、自分の言った言葉の半分も理解できたかどうか分からなかった。
詩音がその場にいたら、主に対する失礼千万な男の捨て台詞に、驚愕の余り目を白黒させるか、憤怒で顔色を変えたことだろう。
詩音はその場にいなかったのが、かえって幸せだったかもしれない。
「妙な主従だ。」
良太郎は失念しているが、実は大久保是道(おおくぼこれみち)と良太郎は過去に関わったことがある。
入学試験で、是道が良太郎の姿を見つけ、内心どれ程歓喜に震えたか良太郎は知らなかった。しかも、この些細な事件がきっかけで、佐藤良太郎はそれ以来、極めて不本意ながら同級生大久保是道の心の深い部分に住むことになる。
分かりやすく言えば、大久保是道は、佐藤良太郎に一目で恋をした。
拍手もポチもありがとうございます。
励みになりますので、応援よろしくお願いします。
コメント、感想等もお待ちしております。 此花咲耶
続き部屋に運び込み、寝台の上で余裕の無い靴を、思い切って引き剥がすように脱がせば、痛々しい傷を作った足が出てきた。
ひどい靴擦れは、元々皮膚が薄いせいだろう、小指の付け根からくるぶしまで出来た水疱が既に潰れて赤くなり、じくじくとしていた。きつい靴を履いていたせいだろう、浮腫みもある。
「ああ……、これは酷い。肉刺(まめ)がいくつも出来て潰れてしまったのだな。これは校医に見せたほうがいいな。痛かっただろう。」
「…医者はいらない。傷は…いつも詩音が直す……。」
「化膿止めの入った傷薬をもらった方がいい。このままにしておくと膿んで熱が出るぞ。明日は入学式なのだから手当はきちんとした方が良い。」
額に脂汗を浮かせているところを見ると、ひどく痛むだろうに、能面のように感情を浮かべずじっとしている。その顔は小さく、風鎮などに使う雪花石膏を削ったようにくっきりとした目鼻立ちだった。
入寮して初日に「如菩薩」(気高く柔和の意味)という二つ名が付いただけのことはある。
「あの……佐藤さま。若さまは、大久保是道(おおくぼこれみち)さまとおっしゃいます。御父上は政府要人の大久保侯爵さまです。」と、誇らしげに白鶴が紹介した。
「そうか、奇遇だね。僕の家は、その大久保県令(今の県知事)の別宅のある桑並村なんだよ。」
「まあ、そうでしたか。」
横目で見る限り母親似だろうか、新聞で見たことのある県令には似ていないような気がする。腕のいい人形師の作った雛の頭のように、糸引き眉の整った顔を伏せていた。
白いうりざね顔には、公家のする雅な化粧、鉄漿、置き眉が似合いそうだ。
従者の、内藤詩音(ないとうしおん)も姿によく合った名前で良太郎は思わず口にした。
「君も、麗々しい名前のとおりの姿だな。」
「何がでしょう?」
「上級生が、話をしていたよ、君のあざなは白鶴だそうだ。」
「……存じております。」
不愉快になったのだろうか、そう言ったきり詩音は主の方を向いた。
校医のところへ出向き薬を貰ってまいりますと告げた。
「では、若さま、詩音は少しの間席を外しますけど、お一人で大丈夫ですか?」
「喉が渇いているなら、白湯などを所望してまいります。何かお菓子でもお召し上がりになりますか?」
「お一人」といわれ、良太郎は軽くむっとした表情を浮かべて、立ち上がった。
どうやらこの上品な御仁たちとは、温かな友情など結べそうにない。傍にいるのにいないかのようにふるまわれ、良太郎はいささか腹を立てていた。
「用は済んだようだから、僕はこれで失礼する。」
「あっ……」
立ち上がったその袖口を、大久保是道がきゅと掴んだ。
「……何だ?まだ何かあるのか?」
「詩音が帰るまで、君はここに……。」
「ここに……?」
恐らく心細いのだろう。じっと見つめる黒々とした眸が、物言いたげに揺れる。
自分でも、多少意地悪だと思いながら先を聞いた。
「…居よ。」
「はぁ……?居よ…って。僕は、君の家臣でも下僕でもないぞ。」
大久保是道の言葉に、良太郎は軽く呆れた。
わざと盛大なため息を吐き、自分は従者ではないからそんな義務はない、と冷たく言い放った。
「君は国許では若さまかも知れないけれど、ここではその道理は通じないと思ったほうがいい。華桜陰高校では、身分は関係なく学べるはずだし、、少なくとも僕はそのつもりだ。」
「僕のうまれた家では、誰かに側にいて欲しい時は、「居てください」と頼むんだ。おそらく、君のご実家のように上品な家ではないだろうけど、物を頼むならそれらしく言いたまえ。失敬する。」
告げた言葉に異を返すでもなく、ぽかんと呆けたように目を瞠った美少年を残し、良太郎は室外へと退出した。
「なんだ……あの如菩薩は?綺麗なだけの知恵足らずなのか……?華桜陰の試験は難しかったはずだがな……。」
おそらく生まれて初めて部屋に一人っきりで残された大久保是道(おおくぼこれみち)に、自分の言った言葉の半分も理解できたかどうか分からなかった。
詩音がその場にいたら、主に対する失礼千万な男の捨て台詞に、驚愕の余り目を白黒させるか、憤怒で顔色を変えたことだろう。
詩音はその場にいなかったのが、かえって幸せだったかもしれない。
「妙な主従だ。」
良太郎は失念しているが、実は大久保是道(おおくぼこれみち)と良太郎は過去に関わったことがある。
入学試験で、是道が良太郎の姿を見つけ、内心どれ程歓喜に震えたか良太郎は知らなかった。しかも、この些細な事件がきっかけで、佐藤良太郎はそれ以来、極めて不本意ながら同級生大久保是道の心の深い部分に住むことになる。
分かりやすく言えば、大久保是道は、佐藤良太郎に一目で恋をした。
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