ずっと君を待っていた・30
止まらない涙は、この変な張子のお面で隠れるし、何の心配も要らない。
ずるずるの着物を着て、鬘をかぶり、お面をつけたらもうぼくは古代に居たクシナダヒメだ。
青ちゃんのスサノオも、やはり面をつけ長い剣を持っている。
その剣の名前も今なら分かる。
青ちゃんの剣は、十束剣(とつかのつるぎ)というんだ。
あれで激しく戦ったんだよね。
面で視界がすごく狭くなっているから、よく分からないのだけど、雅楽で使うような笛の音や、太鼓の音がどこからか響く。
物語はオロチの妻問いから始まり、オロチとスサノオとの闘いになった。
親父とお袋は勿論、クシナダヒメの両親の役だ。
御当主の操る龍の大きな人形が出てきて、うねうねと紅の蛇腹がくねった。
多少慣れたとはいえ、「長いもの」が自在に動き回るのはきつかった。
「クシちゃん、大丈夫?」
戦いの舞を続けながら、耳元でスサノオの青ちゃんが聞く。
元々、スサノオが横恋慕なんかするから、ややこしいことになったんだ。
「ばかっ。」
篝火は激しく勢いを増すが、舞台を見守る観客などはいない。
再現される過去に、関係者が時代をさかのぼり、催眠状態になって行くだけだ。
すべてを振り出しに戻すための儀式が、今日の神楽だった。
「クシナダ、鏡を。」
オロチ・・・じゃない、海鎚緋色に乞われて俺は袖口から、今わの際に託された約束の鏡を手渡した。
今度こそ、恋人同士は結ばれて、もう1つの神話の話が始まるんだ、きっと。
薄く透けた、もう一人のクシナダヒメが、万感の思いを込めて、オロチにまとわりついているのが見えた。
俺はあの子の代わりに鏡の世界に行き・・・きっと、封じ込められて、もう帰ってこれなくなる。
ぼんやりと全てを受け入れて、でも・・・
面の中のぼくの顔は、溢れる涙で大洪水になっていて、そっとオロチが面を取り上げたのも気が付かないくらいだった。
「・・・もう良い。」
海鎚緋色が、笛の音を手を上げて止めさせた。
紅袴の多くの家人がぞろぞろと、能舞台を取り囲み、口々にかまびすしく喚きたてた。
「緋色さま。お神楽を止めては、なりませぬ!」
「積年の念願がやっと叶うときがきましたものを!」
「どうか、このまま!」
と、叫んでいるみたいだった。
その姿は信じられないほどの沢山の、大小の蛇が鎌首を上げたもので、俺は気が付くと歯の根が合わずかたかたと、真冬の戸外に薄着で彷徨うかわいそうなネーデルランドのネロ少年みたく震えていた。
いくらなんでも。
数、多すぎだって。
助けて、パトラッシューー。
そして・・・あろうことか・・・
信じられないことに、ご当主の海鎚緋色は、手に持った大切な古い青銅の鏡を、ぱんと手刀で割ってしまったのだ。
「あっ!」
その場にいる、すべてのものが目を疑った。
皆が息を呑む中、鏡から七色の雲が沸き立つ。
その中に浮かぶ光景は、まさに鏡の中で俺が見てきた神話の世界そのままのどこまでも美しい自然の野山だった。
『オロチ・・・』
ぼくの喉が、躊躇せず恋人の名を呼ぶ。
********************************************
いつもお読みいただきありがとうございます。
拍手もポチも、励みになっています。
明日も、がんばります。 此花
ずるずるの着物を着て、鬘をかぶり、お面をつけたらもうぼくは古代に居たクシナダヒメだ。
青ちゃんのスサノオも、やはり面をつけ長い剣を持っている。
その剣の名前も今なら分かる。
青ちゃんの剣は、十束剣(とつかのつるぎ)というんだ。
あれで激しく戦ったんだよね。
面で視界がすごく狭くなっているから、よく分からないのだけど、雅楽で使うような笛の音や、太鼓の音がどこからか響く。
物語はオロチの妻問いから始まり、オロチとスサノオとの闘いになった。
親父とお袋は勿論、クシナダヒメの両親の役だ。
御当主の操る龍の大きな人形が出てきて、うねうねと紅の蛇腹がくねった。
多少慣れたとはいえ、「長いもの」が自在に動き回るのはきつかった。
「クシちゃん、大丈夫?」
戦いの舞を続けながら、耳元でスサノオの青ちゃんが聞く。
元々、スサノオが横恋慕なんかするから、ややこしいことになったんだ。
「ばかっ。」
篝火は激しく勢いを増すが、舞台を見守る観客などはいない。
再現される過去に、関係者が時代をさかのぼり、催眠状態になって行くだけだ。
すべてを振り出しに戻すための儀式が、今日の神楽だった。
「クシナダ、鏡を。」
オロチ・・・じゃない、海鎚緋色に乞われて俺は袖口から、今わの際に託された約束の鏡を手渡した。
今度こそ、恋人同士は結ばれて、もう1つの神話の話が始まるんだ、きっと。
薄く透けた、もう一人のクシナダヒメが、万感の思いを込めて、オロチにまとわりついているのが見えた。
俺はあの子の代わりに鏡の世界に行き・・・きっと、封じ込められて、もう帰ってこれなくなる。
ぼんやりと全てを受け入れて、でも・・・
面の中のぼくの顔は、溢れる涙で大洪水になっていて、そっとオロチが面を取り上げたのも気が付かないくらいだった。
「・・・もう良い。」
海鎚緋色が、笛の音を手を上げて止めさせた。
紅袴の多くの家人がぞろぞろと、能舞台を取り囲み、口々にかまびすしく喚きたてた。
「緋色さま。お神楽を止めては、なりませぬ!」
「積年の念願がやっと叶うときがきましたものを!」
「どうか、このまま!」
と、叫んでいるみたいだった。
その姿は信じられないほどの沢山の、大小の蛇が鎌首を上げたもので、俺は気が付くと歯の根が合わずかたかたと、真冬の戸外に薄着で彷徨うかわいそうなネーデルランドのネロ少年みたく震えていた。
いくらなんでも。
数、多すぎだって。
助けて、パトラッシューー。
そして・・・あろうことか・・・
信じられないことに、ご当主の海鎚緋色は、手に持った大切な古い青銅の鏡を、ぱんと手刀で割ってしまったのだ。
「あっ!」
その場にいる、すべてのものが目を疑った。
皆が息を呑む中、鏡から七色の雲が沸き立つ。
その中に浮かぶ光景は、まさに鏡の中で俺が見てきた神話の世界そのままのどこまでも美しい自然の野山だった。
『オロチ・・・』
ぼくの喉が、躊躇せず恋人の名を呼ぶ。
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