続・はつこい 如月奏の憂鬱・15
それが、如月奏の愛する娘の名前だった。
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赤子は毛布に包まれて、寝息を立てて眠っていた。
覗き込んだ奏のまつ毛に露が宿る。
「あ・・・の。」
別れがたい奏の様子に、とうとう颯が奥様・・・と、割って入った。
「まもなく留学期間は終わり、私達は日本に帰ります。できることならもう一日だけ彼に、この子と別れを惜しむ時間をいただけませんか。」
教授夫人は、ついてきた役人と何事か言葉を交わすと笑顔を向けた。
「大丈夫よ。どうやらこの子の里親になる予定の方は、わたくしの知り合いみたいなの。」
「明日の夕方、またお会いしましょう。」
大切な少女をそっと受け取ると、奏は毛布ごと赤ん坊を抱き締めた。
そして、人嫌いの奏が驚くべきことに頬を寄せた。
「Katie (ケイティ)・・・」
白雪も颯も知っていた。
どれだけ奏が、彼女を愛していたか・・・
この不器用な青年は、全身で語っていた。
しかし、奏とKatie (ケイティ)の蜜月は、わずかな時間を残して終わりを告げようとしている。
Katieと雪の中で出逢ってから今日まで、片時も離れず互いを片羽のように抱き合って暮らしてきた。
白雪に慣れるまで、わずかな時間も赤ん坊は奏の懐を求めてぐずった。
ゆとりのない詰まった授業時間、奏は教室の外でぐずるKatie をあやしながら、漏れ聞こえる講義の声を必死にノートに写したこともある。
木匙で掬った温いミルクをゆっくりと、長い時間口元に運んでやりながら、奏のまなざしは慈愛に溢れていた。
その日、まるで人が変わったように饒舌で微笑みの絶えない保護者は、まず写真館へ向かった。
奏は、思い出を求めたのだろうか。
Katie (ケイティ)と二人
颯と白雪も一緒に入ったもの
颯と二人
赤子一人のもの
颯一人
白雪一人
何枚も何枚も注文し、後にこの湿版写真は奏の一生の宝となる。
その後町中を歩き回り、小さな恋人への贈り物を、両手に持ちきれないほど抱えて、再び教授夫人のもとへと訪れた。
「まあ、まあ。まるでどこかの王女さまの婚礼支度のようだこと。」
子供の死亡率がまだ高い時代に、これから育ってゆく寸法のものまで揃えた奏に、教授夫人は最初に会ったときと印象が変わっているのに気が付いた。
どこか人を寄せ付けない孤高の雰囲気が、穏やかに和らいで見えた。
それは、奏の一番深いところにある「本質」だったかもしれない。
もう二度と会えないかもしれない愛し子は、教授夫人に手渡され眠っていた。
「疲れたのかもしれません。あちこち連れ歩いたから・・・。良く、眠っています。」
「もう一度、抱く?」
教授夫人の申し出に、奏は軽く否と答えた。
「・・・離れがたくなりますから。」
鼻の頭を少し紅くして小さく頭を振った奏は、涙を零すまいと周囲にも解りやすく懸命な様子だった。
無理をするなと、颯が言葉をかけようとしたとき、ついと顔を上げて細い髪を耳になで上げて、いつもの顔を取り戻していた。
「奥様。お願いがあります。留学生の身分で、とても失礼かもしれませんが、この子に・・・Katie に、帰国したのち国許から為替を送らせていただいてもよろしいでしょうか。」
「まあ・・・奏。その申し出は養い親が、喜ぶと思うわ。」
「彼らは上流階級というわけにはいかないけれど、教育を受けさせてくれるわ、きっと。」
教授婦人は請け負ってくれた。
「わたくしが保障するわ。彼らは貧しいけれど、とても人格者なの。とてもいい方たちだから、あなたの好意をきっと受け取るでしょう。わたくしも、口添えを約束するわ。」
奏は少し安心したのだろうか・・・
感情が綻んだ潤んだ瞳を、婦人に向けた。
誰もが愛する清らかな雪華石膏の頬を、浮かび上がった露が静かに転がってゆく。
「僕は、心からこの国を・・・Katieの祖国 を愛します。」
「僕は、僕のままを・・・何も持たない生身の自分を、求めてもらったのは初めてだったんです。」
「いつも与えてもらうばかりで、それを当たり前だと思ってこれまで生きてきました。」
「この子には、何もわからないかもしれないけど・・・・僕が、こんな風に見返りなく人を心から愛おしいと思えるなんて・・・。この子に出会って、一途な愛し方を・・・初めて知りました。」
そして奏は、おずおずと・・・両手を回してKatie を婦人ごと抱きしめた。
「しばらく・・・しばらくの間、このままで・・・いさせて・・・」
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前作「はつこい」をお読みになってくださった方へ。
たくさんの拍手ありがとうございました。
移しただけで、ちゃんと推敲、加筆できていないので申し訳ないです。
お読みいただきめっちゃうれしかったです~!(*⌒∇⌒*)♪
白雪という名に関して、お問い合わせをいただきました。
白雪は名前ではなく、苗字です。白雪征野(せいや)が本名です。
時折でて來る白菊のほうは名前です。東野白菊(とうのしらぎく)です。←今、付けました~(*⌒∇⌒*)♪
(´・ω・`) 白雪:「あの・・・ハンケチお使いになりますか、奏さま。」
(´・ω・`) 奏:「必要ない、白雪。いつかこの日が来るのは、わかっていたのだから。」
(*⌒▽⌒*) 赤ちゃん:「きゃっ!」
(´/ω;`) 奏:「・・・ひ・・くっ・・・」
此花も思わずもらい泣き。|ω;`) 「ごめんね、奏。」←書いといて。
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